2006/09/21

『冥途・旅順入城式』内田百間



内田百間。「間」と表記したが、ほんとうは門構えに「日」でなく、「月」である。「月」の方は表示されなかったりするし、「けん」とひらがな書きするのも趣きに欠けるので、「日」で勘弁していただきたい。最近はパソコンで文章を書くことが多くなって、手書きで書くことなどほとんどない。キーボードを叩く方がスピードも速いし、字も正確で美しい。しかし、内田百間を表記するときに、ふとその不自由さに気がつく。キットラーの著書を紐解くまでもなく、タイプライターによって生まれた新しい文章というのもあるだろうが、その逆もしかりである。内田百間の文章は間違いなくタイプライター以前だからこそ生まれた文章だろう。仮にタイプライターが当時にあったとしても、百鬼園先生にその使用をすすめたところで断固断られるに相違ない。

本書には、内田百間の第一創作集『冥途』と第二創作集『旅順入場式』が収められている。巻末の平山三郎氏の雑記によると、『冥途』は10年の年月を費やしたというが、その『冥途』の最初の版は、早稲田の稲門堂書店から出ていて、ページ数を示す数字(ノンブル)がなく、標題もないらしい。百鬼園先生いわく、

……一生懸命書いたものを、読者が読んでくれて、おもしろくないからと云って途中でほかのものを読んだり、あっちこっちひろい読みされるのがイヤだから、それで何頁まで読んだという中途半端な読み方をされないように、ノンブルを全部取っちまったんだ。(p.328)

なんとも百鬼園先生らしい。結局、製本所が困ってしまって乱丁本がかなり出来てしまったので次からはやめたようだが、この逸話からもその文章にある魅力に似通ったものが感じられる。

前に読んだ『贋作吾輩は猫である』などは、登場人物たちの生活する日々の様子が淡々と描かれる中に、何とも言えないおかしみがにじみでているといった印象だったが、本書の内容の多くは一言で言えば怪談である。つまり、例えば『贋作吾輩…』で描かれているのが日常とするならば、本書では化け狐が出てきたり、おそろしい病気にかかったり、豹に襲われそうになったりと、描かれる対象が非日常的であり、さらに言うと脅迫的である。だから、巻末の解説で高橋英夫氏は、それを評して「胸苦しさの文学」であると言い、その胸苦しさからは逃れたいという当たり前の気持ちと、その裏側にあるもう一度その苦しさを味わいたいという歪んだ欲求の両義性に百間文学の魅力がある、と解説されている。そして、そこから内なる夢物語として百間文学の恐ろしさを説いているのだ。しかしまた一方で、やはりここにも内田百間独特のおかしみといったものがどこかに漂っている気がならない。

すれ違う所迄来る内に私は考へた。探偵なら今ここでその事を話してもいいが、探偵だかどうだか解らない。此方から云ひ出して見て、探偵でなかったら危い。悪い奴だったら、私を殺して銭を取るかも知れない。まあ黙ってゐた方がよからうと思った。(p.41「流木」)

私は驚いて、口の中に指を突込んで見たら、柔らかな湿れた毛が、口の内一面に生え伸びてゐた。そうして、まだ段々伸びて来さうだった。もっと長くなれば、仕舞には脣の外にのぞくかも知れない。女が帰って来て、私に接吻しに来たらどうしようかと思った。(p.270「流渦」)

読み返して、どこにおかしみがあるのだろうかと考えてみると、それは呑気さというかマイペースというか、どんなことが起こってもどこか心の底では落ち着き払って動じていないような雰囲気が漂うところにあるようである。そして、その動じず、落ち着き払っている者というのは、それぞれの話に出てくる当人であり、主人公であり、つまりそれが誰なのかと言えば、内田百間その人である。話の中では、ちゃんと、「びっくりした」り、「ひやり」としたりしているのだが、どうも驚き方や焦り方そのものに余裕が混じる。百歩譲ってそこで起きた出来事に動揺しているとしても、どこか一拍遅れているような感があり、それこそが燻るようにおかしい。例えるなら、機械化された工場のシステムに挑むチャップリンのようでもあるが、チャップリンと違って、百鬼園先生は至って真面目である。笑われる気は毛頭ないのだ、だからこそチャップリンとも決定的に違う。厳密にそのおかしみの根拠が文体にあるのか文章のリズムにあるのかどうかは明らかではないが、あえてそれを言葉にするならば、「百間節」とでも言うしかない。そう、内田百間の人格が話の主軸でどっかりと座布団に座り、あまりにマイペースな反応を示している様子こそが、内田百間のユニークで最も感心させられるところなのである。

恐れながらも、百間文学は勢いよく一度に読み終えてしまうような迫力はない。だが、じんわりと伝わるような味があって、ゆっくりと読んだり、ひろい読みしたりするだけでも伝わるほど浸透力が強い。なので、未読の方にも、ぜひふらりと立ち寄ってもらいたい作家である。そして一度立ち寄ったら最後、またふと立ち寄りたくなり、気づいたら常連客になってしまうだろう。本書、旺文社文庫版はやっぱり解説がしっかりしていて勉強になる。本書はカバーがくたびれてしまっているが、売るならば800円はつけたい。もちろん、復刊もかなり増えているので、そちらもぜひ確認してもらいたい。

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