2006/01/22

『競売ナンバー49の叫び』トマス・ピンチョン 志村正雄 訳



難解という前評判ばかり気にして、途中で挫折することも覚悟の上、読み出した。

ある夏の日の午後、エディパ・マース夫人はタッパーウェア製品宣伝のためのホーム・パーティから帰って来たが、そのパーティのホステスがいささかフォンデュ料理にキルシュ酒を入れすぎたのではなかったかと思われた。家に帰ってみると自分 ー エディパ ー が、カリフォルニア州不動産業界の大立物ビアス・インヴェラリティという男の遺言執行人に指名されたという通知が来ていた。
(p.7)

妙に構えてしまっているからか、固有名詞に敏感になる。見逃したらすぐにおいていかれるかも知れない…。小説ではあまりないが、ボーっと読んでいたためにだんだんと内容がわからなくなり字面を追って半分くらいまで読み進んだものの、諦めて初めから読み直すことも多々ある。この場合はあきらめる勇気が大切だ。

しかし、読み出したらあれよあれよと止まらず、時間を忘れ一気に読み終えてしまった。一気に読んでしまうというのはやはり面白いからだろうけれど、こういう楽しみばかりが本や小説の目的ではないから、全幅の信頼をおいて評価の基準にしてしまうのはよくない。ただ、ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』にとらわれた印象は、なにか今までにない印象があった。文字の1文字1文字に吸い付けられるというか、まさしく目が離せないといった状況で読み進めてしまった。作中のキーポイントとして出てくるため口絵が載っている、レメディオス・バロ『大地のマントを織りつむぐ』にあるように、まさしく自分がテキストの織り目に取り込まれていくようだ。あまり深読みすることは好まないが、解注を読むと、主人公エディパ・マースとともに「遺言の共同執行人」であるメツガー在する「<ウォーブ・ウィストフル・キュービチェック・アンド・マクミンガス法律事務所>」の「ウォーブ」は「日本語の化学用語「ワープ」の原語warp(歪み)と同音であり、その単語はまた織物の経糸をも意味する。エディパの姓マースはオランダ語のMaaswerkにもつながっていて、それは「緯糸」を意味するから、エディパと、この法律事務所が結びついてこの本のテクストが織り出されて行くことの暗示でもある。」なんてあるから、「テクスト」と「世界」を「織物」のイメージでつないだロラン・バルトを思い出したりしてしまう。

「織物」のイメージで話を進め、完成された生地を世界と見るなら、この作品に感じた独特の印象は、少し離れた位置から生地全体を見てとらえた感覚ではなくて、生地のなかの一つ一つの織り目を目で追っていきながらとらえたような感覚にある。だからこそ、そこにある単語(織り目)に謎を含んだ興味が残り、その意味を追いたくなる気持ちが湧いてしまう。しかし、一つの単語の意味は他の単語と同じくその世界観の重要な位置を占めていると同時に他の単語と同じく重要でない。なぜなら、どれも単独では意味をなさず、関係性においてしか意味を持たないのだから。まさしく「織物」なわけである。

ただ謎めいている、それだけに終わる作品が多い中で、全体が靄に包まれながらも、読み手を惹きつける魔力を有しているのには驚く。それは「解注」というどうしても補足的でナンセンスにならざるをえないものさえ、読んでみると物語の続きであるようにすら思えてしまうことにも通じるだろう。それはおそらく、著者という唯一、全体像を明解にとらえている視点から、「織物」がとても丁寧に織り込まれているからではないかと想像させる。

ピンチョン作品では、『競売ナンバー49の叫び』は中編で、『スローラーナー』といった短編集などあるけれど、この作品を読むと、長編『V.』や『重力の虹』へのチャレンジ精神も湧いてくる。付録の初期短編『殺すも生かすもウィーンでは』も良かったから、短編も悪くなさそうだ。志村正雄氏のあとがきを読むと、サンリオ文庫版はもともと寺山修司訳の予定だったらしいが、寺山の死によりその下訳をもとに志村氏が訳したらしい。もちろん<サンリオ文庫>は絶版になっているので、一時は値段が高騰し入手困難だったが、今回読んだ新版が出て今は新刊でも2835円で入手可能。装幀もカバーの内側まで凝っている。状態も悪くない上に、読み返したくなる作品なので2000円くらいはつけたい。

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