2005/11/09

『可否道』獅子文六



だいたいの本には著者というものがある。だから、古本を漁っていれば、自ずとたくさんの名前を見ることになる。これはいい名前だな、と思う著者の書いた本にはつい惹かれてしまう。どんな名前がいいかといえば、これは人によるかもしれない。獅子文六なんかは、私の場合、まず名前のインパクトにやられてしまう類の作家だ。

『可否道』は、後に文庫化されて『コーヒーと恋愛』と改題された。たしかに内容を一言で表現しなさい、と言われれば、「コーヒーと恋愛」となる。だが、やはりタイトルは「可否道」でなければダメだろう。「コーヒーの感じは、ふつう、珈琲と書くが、そのほかに、…無数の宛て字がある」。その中で可否会会長は「可否が、一番サッパリしているよ。それに、コーヒーなんてものは、可否のどちらかだからな。」とハッキリおっしゃっている。また「可否道」といったタイトルには、著者自身の名前にも通ずるセンスの良さも表れていてさすがと思わせるし、「珈琲」でなく、「可否」であることが、本書の品格を一段上げている。

コーヒーを入れさせれば右に出る者はいないだろうというほどの腕を持つ、女優坂井モエ子。彼女は8つ年下の演劇一筋の男性を旦那にもつが、年の差と彼女の収入が家計を支えている事実などから、2人の間にはズレが生じてくる。女優とはいうものの、モエ子は庶民派のわき役を得意とするようなタイプで、歳は40を越えている。だから、ここで描かれるのは、月9でやるような20代男女の色恋ではなくて、大人の恋愛だ。かといって、ドロドロの昼ドラみたいでももちろんない。にぎわう東京の白黒写真を眺めるような、どこかほのぼのとした空気が常に漂う。言葉にすれば、「昭和の雰囲気」とでも言うのだろうか。

獅子文六の本にハッとさせられるのは、その終盤、特に結末である。恋愛もののステレオタイプに、馬が合わない二人→ハラハラさせる出来事の積み重ね→結局、二人は結ばれる、という流れがあるなら、この流れの中に獅子文六は、男と女以外のそれらと同等になる要素を加えて、意外な結末を用意する。無論ここで作品で加えられる要素とは、可否(コーヒー)である。

意外な結末というのは、誰か一人、たいていは主人公が幸せになるのではなく、小説の中を全体的に幸せにするという点だ。そこでは、主人公も登場人物の一人として平等にとらえられている印象がある。今日でさえ、凡百の小説が中心人物に注意を引かれ、周りの登場人物を見捨ててしまう中で、獅子文六はバランスのいいブレンドを作り出すように関係全体を調和のとれた状態にもって行く。こういうやり方が興味深い。ここには、一家団欒を良しとするような日本人らしさが影響しているようにも感じられる。一見ありがちのようで、どこか辛みも持ちあわせた結末は、新たなスタートのような印象があり、それは『胡椒息子』でも同じだった。

途中、退屈することもなくはないが、また他の作品を読もうと思わせる魅力は十分ある。なるほど、と思わせる可否(コーヒー)の蘊蓄がちりばめられているのも、本書の魅力の一つだ。装幀は、芹沢けい介が担当している。箱もなくシミが少しあるのは残念だが、表紙と扉のデザインで芹沢さんのセンスの良さが確認できる。本書は、読みたい人も多いらしい。読むには問題ない状態だから、1300円くらいだろう。

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