クマのプーさん/プー横丁にたった家
初回の今日はこのブログのタイトルの由来となった「クマのプーさん/プー横丁にたった家」についてお話します。『百町森』というのはプーくまやクリストファー・ロビン、ウサギやコブタの住んでいる森の名前なんです。
プーがちいさい黒雲に化けてミツをとろうとした、プーがウサギの穴におなかをつかえさせた、プーがのーす・ぽールをはっキンした、あそこなんです。
皆さんはもう プーくま とは親しい仲でしょうか? このブログの右上にいる男の子のシルエットがクリストファー・ロビンで、頭をはしご段にぶつけながら男の子といっしょに階段を降りてくるのがプーくまです。あの、まぬけで、午前十一時にハチミツを一口やるのが大好きな、気の好いくまです。
プ-のシリーズは「クマのプ-さん」と「プ-横町にたった家」の2冊から成っています。
主人公のクリストファ-・ロビンは実在していて、ほんとうに作者A.A.ミルンの息子です。登場人物のプ-もコブタもウサギもフクロもイーヨーもカンガもルーもトラ-も、ほんとうにクリストファー・ロビンの持っていたぬいぐるみがモデルになっています。ミルンは、幼い息子の姿に、自分の中に眠る幼心を重ね合わせ、あんなにやさしい話しを書いたのです。
1冊目は、父であるA.A.ミルンが、息子のクリストファ-・ロビンにお話をする形をとっています。物語りを口頭で伝える、というのは幼いころにみなさんも親御さんにしてもらった経験があるかと思いますが、臨場感があってとても楽しいものですよね! しかもそのお話には、クリストファ-・ロビンのぬいぐるみ、またクリストファ-・ロビン自身も登場人物として出てくるのです。
プ-くまはぬいぐるみ故ちょっと間の抜けたことをやらかしますが、クリストファ-・ロビンは「ばっかなくまのやつ!」と愛着をもってプ-を見守り手助けしてやります。ぬいぐるみばかり住んでいる百町森において、つまり幼少の子供部屋において、クリストファ-・ロビンは頼もしく全てを解決してくれる存在です。
ちょっと肩肘の張ったことも言いますと、口承文芸というのは、人間が言葉を持つようになるのと同時に生まれた、非常に原始的な文学の形です。例えば神話や昔話。それは語り手と聞き手を必要とし、聞き手も物語りの内容を左右する大切な要因となるのです。
児童文学はこのことをよく知っていて、語りの形式をとったお話がたくさん作られてきました。なにせ子供は聞き語りを非常に喜ぶんです。近所の図書館で「おはなし会」というのが開かれていませんか? そして語りかけるように書かれた、読むだけで情景が浮かんでくるような文章は、児童文学だけでなく大人の文学においても重要な要素です。
そんなつまらない分析は置いておいても、ミルンは幼い息子の目をとおして、おだやかで可愛らしく、かつすぐに消える運命をもつ"幼少時代"というのをあぶりだしたのでした。何の心配もない世界です。子供らしいまちがいも訂正されず、そのままに受け取られる世界です。なんにもしない、ただ気苦労も無く遊ぶのが全て、暮していくのが嬉しい世界です。まるで黄金色のうたたねのような
しかし2冊目の「プ-横町にたった家」において、子供部屋の世界は変化していきます。当然育ち盛りのクリストファ-・ロビンはぐんぐん成長してしまいます。彼は勉強を始め、ぬいぐるみたちに会う時間も短くなっていきます。
――「午前ちゅう、クリストファー・ロビンが、なにをするかと? あの人は、学問をしているのじゃ。あの人は、教育をうけとるのじゃ。あの人は、知識をキンキュー――ということばを、クリストファー・ロビンはつかったと思うが、わしはべつのことをいっとるかもしれん――しとるのじゃ。」(「プー横丁にたった家」第5章のなかのイーヨーの台詞)
――クリストファー・ロビンは、いってしまうのです。なぜいってしまうのか、それを、知っている者はありません。なぜじぶんが、クリストファー・ロビンのいってしまうことを知っているのか、それを知る者さえ、だれもないのです。けれども、森じゅうの者は、どういうわけか、ひとり残らず、とうとうそういうことになるのだということを知っていました。(「プー横丁にたった家」最終章冒頭)
いちばんさいご、クリストファ-・ロビンはプ-くまと共に"魔法の丘"へ出かけます。ずっと子供のまま遊んでいられる魔法の場所です。クリストファ-・ロビンはこれからどんどん大人になっていくでしょうが、彼の幼心だけは、最愛のプ-くまとずっと一緒に秘められたところにいるのです。
ミルンはイギリスの有名な雑誌「パンチ」に記事を書く一方、既に「わたしがこどもだった頃」という詩集で文学者としての地位を確立していました。そしてこの「くまのプ-さん」で大絶賛を受けます。
プ-シリーズに雰囲気ぴったりの挿絵をつけたE.H.シェパードの功績も忘れてはなりません。本のプ-、といえば皆さんもひとり残らず同じ絵を思い浮かべることと思います。彼はケネス・グレアム「たのしい川べ」や自身の著作「チム船長のおはなし」でも有名です。
けれども自身の幼い時期を世界中にみつめられることとなったクリストファ-・ロビンはどのような心境だったでしょう。一説には本のクリストファ-・ロビンのモデルはクリストファ-・ロビンではなく、その小さな弟とも言われています。ともかく彼は父親と不仲となってしまいました。僕はあんなに純粋じゃない、と彼は述べています。
どうです、児童文学の名作一冊をとっても、大人の本に負けないくらいのドラマが待ち受けているでしょう?
こんなすばらしい本を日本に初めて紹介したのが、児童文学作家かつ翻訳家かつ編集者の石井桃子さんでいらっしゃいます。なんと今年の3月10日に百歳の誕生日を迎えられました!
まさに今、銀座の教文館に入っているナルニア国という児童書専門店にて、石井桃子さんの誕生日を祝うフェアーが開かれています。レトロな長細いビルの6階です。小さい時から石井桃子さんのご本を読んで育ち、成長してから石井桃子さんの百歳を祝える喜び。これまでもこれからも石井桃子さんのご本は日本の子供達に愛されていくでしょう。
私は10日に遊びに行ったのですが、子供からおばあちゃんまで全ての年齢層のひとが石井桃子さんの本を読みにナルニア国を訪れていて、涙ぐんでしまいました。
教文館 http://www.kyobunkwan.co.jp/
ナルニア国 http://www.kyobunkwan.co.jp/
石井桃子さんの名前を知らないひとは多いでしょうが、彼女の関わっている児童書や絵本を読んだことのないひとはきわめてまれでしょう。いやあ皆さんが気づいていないだけですって! 石井桃子さんがいなくては日本児童文学界は非常な遅れをとっていたでしょう。恐ろしいことです。
また、石井桃子さんは御自宅を「かつら文庫」として近所の子供たちに解放し、日本の家庭文庫の道を開かれました。現在「かつら文庫」は「東京子ども図書館」という団体に託されています。
ミーハーな私は去年見学に行ったのですが、住宅街のまんなかに小じんまりとした図書館があり、棚にはずらりと海外日本のすばらしい名作が並び、次々に子供たちが遊びに来て、座り込んで本を読み聞かせてもらっていました。日本にこんな場所があったのか!と感銘を受けた瞬間でした。
東京子ども図書館 http://www.litrans.net/maplestreet/tklib/
石井桃子さんが初めてプ-に出会ったのは、あの犬養毅首相のお孫さんにクリスマスに語り聞かせたのが最初だ、という逸話を知っていますか?
まったく私なんかの口からは石井桃子さんの業績を語り尽くすことはできません。今月号の 「yomyom」 「MOE」 「AERA」 などに特集されてますので、ぜひぜひ読んでみてください。立ち読みでもいいですから!
ともかく、海外翻訳児童文学において"翻訳"というのは大切です。作品の神髄をみきわめ、外国語文法を直訳するのでなく、その作品に合った日本語を選び、作品を再構築するのです。日本と異なる文化の文章は子どもたちを魅惑し、それをお伽の妖精の世界と混同するようになります。
プ-さんの、あの簡明で美しい文章。かつ石井桃子さんにしか出せないような言葉の雰囲気。
――ふしぎだな
クマはほんとに
ミツがすき
ブン! ブン! ブン!
だけど、そりゃまた
なぜだろな
(「クマのプーさん」第一章、プーのつくったみじかい歌)
最後に児童文学のキャラクター化について述べようと思います。クマのプ-さんはディズニーに著作権を買われ、世界的に有名なマスコットになりました。「あの黄色い熊なんてプ-じゃない」「あれはあれで良いものではないか」「両方を知り、幾つもの表現法法から作品理解を深めることが必要」「ディズニー・プ-大好き!グッズもたくさん持ってます」などなどなどたくさんの意見があります。
ディズニーが挿絵画家E.H.シェパードの遺族との裁判に負け、プ-の版権を回復できなかった、というニュースも入ってきました。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_02/g2007021903.html
今後どうなるのか、注目されるところです。