<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>百町森通信</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/atom.xml" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2008:/blog/hyakucho/5</id>
   <updated>2008-04-27T11:52:00Z</updated>
   
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.33-ja</generator>

<entry>
   <title>なんでも箱</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2008/04/post_11.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2008:/blog/hyakucho//5.194</id>
   
   <published>2008-04-27T11:44:14Z</published>
   <updated>2008-04-27T11:52:00Z</updated>
   
   <summary>どうもコンバンハ！ナラヤマです◎ 亀のようにゆっくりなこのブログですが、 コメン...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      どうもコンバンハ！ナラヤマです◎



亀のようにゆっくりなこのブログですが、
コメントをしてくれる人がいると
たいへん嬉しいです、ありがとうございます！！



ほんとうに、好きなものについて語るって
想像以上に難しいものですね。
おかげで更新したい本はあっても時間が追いついてくれません。。



でもやっぱり色んな人にわたしの好きな児童文学を紹介したい。
そうだ！
それなら質問や感想やご意見を受け付けるエントリーを作ったらどうだろう？
わたしからの一方的な発信じゃなくて、誰かさんからも発信してもらうことで
伝えられることも増えるんじゃないだろうか！




と、いうことでコレを書いています。
やはり個別の児童書ごとのエントリーだと、「はじめまして」「これ知ってますか？」みたいな気軽なコメント、しづらいですよネ。
このエントリーで、そうゆうの、じゃんじゃん投稿しちゃってください！！

「わたしはこの児童書についてこういう風に思います」
「この本好きなんですけど、紹介してもらえませんか？」
「小さい頃に読んで題名が思い出せない本があるんですが、知りませんか？」
「こういう話が好きなんですけど、オススメありますか？」
「ちょっとこの解説は違うんじゃない？」

などなど
なんでもオウケイです！！

お待ちしてます◎
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>はてしない物語</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2008/04/post_9.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2008:/blog/hyakucho//5.190</id>
   
   <published>2008-04-07T13:54:40Z</published>
   <updated>2008-04-13T14:41:02Z</updated>
   
   <summary></summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      
      <![CDATA[■
わたしたちは本を読む。
ページをめくる。
栞がわりに切符をはさみ、そのまま失くす。
擦り切れる紙。

本は物語を包んでいる。
色とりどりの装丁がある。
活字や電子媒体がある。
それでも物語はそのなかに身を隠す。

みなさんは、物語はなんのために存在してると思いますか？

みなさんにとって物語って、どんな役割を持っているんでしょう？

そもそも物語って、いったいぜんたい、なんなんでしょうね。



■■
ところでわたしは、物語って
じぶんの人生を消化するためにあるんだと思います。

ここで寄り道して、物語や言葉のプロフィルを追ってみましょう
わたしのぼんやりした概観になってしまいますが。

猿が立ち上がり人間になりました
↓
狩りや何やかやのコミュニケートのため
人間が言葉をもつように
↓
花を咲かせたり、嵐を起こしたり、
人間を生かして殺す自然を不思議に思い
言葉で解釈するようになる
これを神話という
↓
人間が家に住むようになる。
炉端でおじいちゃんおばあちゃんが
孫たちにお話を聞かせてくれる。
たいていその村に伝わる言い伝え、戒めである
これを民話という
↓
韻を踏んだ言葉でリズムをとる語り部
そして更に唄い踊る者も
こうして演劇や詩が生まれる
↓
言葉は人々に浸透していったが
文字というのは豊かで教養のある
ひと握りの人にしか扱えなかった
西洋においては、聖書を朗読するというだけで
祈りと同等の尊い行為だったのである
↓
グーテンベルクが活版印刷を発明
一気に文字が民衆のもとへ広がる
↓
お江戸では民衆文化のもと木版文化が花盛りであった
しかし明治維新。文明開化。
明治近代人は西洋的自我のもと悩み始める
ここで物語は自分を語るための存在であった
そしてやはり一握りの文化人しか物語を得ることはできなかった
↓
平成の世では文壇崩壊。ブログ流行。
ようやく一般の民衆が各々の物語を持ち始める
じぶんだけの物語をみつける

いつの時代も人は何かを消化・解釈するために
言葉と物語を使ってきました。
それは恐ろしくも美しい自然を解釈するためだったし、
不条理なる近代と自我を解釈するためでもあった。

いくら劇・詩・小説と形を変えても、
物語はいつの世にも存在しています。

いくらその形式や媒体が変わっても、
物語はいつの世にも存在しています。

変わらないのは、わたしたちが何かを乗り越えるため、
説明をつけるため、昔のことを思い返して消化するため、
物語を作り続けてきたという美しい事実です。

言葉と物語と文字は、高貴なる人のもとから
一般民衆のもとへと降りて浸透していったのです。






■■■
ここでミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を紹介します。エンデは「金」「時間」に縛られる近代を批判し続けた人でした。そして愛を信ずる人でした。そんな彼の書いた『物語』とはいったいどんなものだったのでしょうか。

<u>＊ちなみに映画の「ネバーエンディングストーリー」はこの本を原作としています。
あのテーマ曲は流行りましたねえ～<object width="425" height="355"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/MccmHwA-c4U&hl=ja"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/MccmHwA-c4U&hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="355"></embed></object>
フッフールの陽気な造形もなつかしいですね！
けれども例によって、映画は本と別物です。アレはアレで良いんですが、やっぱり本じゃないと伝わらないものもあるんです。特にこの本の場合。エンデは映画の出来に憤ったと言われています。そこでエンデ自身は「モモ」映画化に携わり、こちらは納得のいくものができたようです。</u>






主人公はバスチアン・バルタザール・ブックス。
太っちょでのろま。
病的なほどの心配性でサプリメントを１日に何粒も飲みこむ。
学校では先生やクラスメイトにからかわれてばかりいる。
ほとほと人生に嫌気が差している。
（学校嫌いのところなんかエンデの幼いころにそっくり）

お母さんは死んでしまい、歯科技工士のお父さんと２人暮らし。
でもお父さんはバスチアンと話していてもバスチアンのことを見ていない。
ここじゃないどこか遠くを見つめている。

そんな彼は、じぶんでじぶんに物語を作ってあげるのが大好きで、大得意なんです。
まるでわたしの、そしてあなたの幼い頃のようですね。







■■■■
ある日バスチアンはいじめっ子に追いかけられるうち、
カール・コンラート・コレアンダー氏の古書店に辿りつきます。

そこで表紙があかがね色に輝く、
「はてしない物語」という本をみつけるのです。

まるでわたしが、あなたに紹介しているこの本と同じみたいですね。
<img alt="neverending.jpeg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/neverending.jpeg" width="240" height="400" />
表紙では二匹の蛇がたがいに相手の尾を咬み、楕円につながっている。

終わらない読書を夢みていたバスチアンは
かっとなってその本を盗んできてしまうのです。
そして学校をさぼり、１人その本を読みふけります。
学校の物置のなかで。体育用マットにねそべり、毛布をかぶって。
虫にくわれた剥製の狐やふくろうや鷲のいるなかで。
蝋燭をともして。

ここからは、バスチアンの描写は緑の文字、物語の描写は赤の文字で
印刷されています。


その物語の舞台はファンタージエン。
幼ごころの君が統べたもうこの国では、幼ごころの君が健やかであれば国も健やかに、幼ごころの君が病に臥せれば国も滅亡に至ります。

しかし今、ファンタージエンはまさに滅亡の危機に瀕しているのです。
幼ごころの君が重い病に臥せっておられるのです。
そこで“緑の肌族”の少年アトレーユに白羽の矢が立ちます。バスチアンと年の変わらない少年です。それなのに、ファンタージエンの命運が彼の双肩にゆだねられます。「幼ごころの君の病を治せ、そしてファンタージエンを救え。」

彼は幼ごころの君の任命を受けた者がもつ印である“アウリン”を持って旅立ちます。
アウリンとは、
二匹の蛇がたがいに相手の尾を咬み、楕円につながる形をした装身具。
まるでわたしがあなたに紹介している本の、表紙のようですね？
そしてバスチアンが夢中になって読んでいる本の、表紙のようですね？

緑の文字のバスチアンは
赤い文字のアトレーユを読み進め、後を追います。
彼は彼の冒険に夢中になり心からの賛辞を贈ります。






■■■■■
ところであなたはこう思ったことはありませんか。
物語の中の世界に入りたい。
そこに生きるわたしはきっと、こちらのわたしより優れているはずだ。
物語の登場人物に話しかけたい。
わたしたちはきっと気の合う友だちになれるはずだ。

バスチアンもこうつぶやいています。

<strong><em>本って、閉じているとき、中で何が起こっているのだろうな？
そりゃ、紙の上に文字が印刷してあるだけだけど、――きっと何かがそこで起こっているはずだ。だって開いたとたん、一つの話がすっかりそこにあるのだもの。ぼくのまだ知らない人びとがそこにいる。ありとあらゆる冒険や活躍や闘いがそこにある。――海の嵐にであったり、知らない国や町にきたり。みんな、どうやってかわからないけど、本の中に入っているんだ。読まなくちゃ、そういうことをいっしょにやれないわけだけど。それはわかっている。だけど、それがみんな最初から中に入っているんだ。どうやって入っているのかなあ？</em></strong>

どうやって入っているんでしょうね？
エンデはその謎を、この物語を書くことによって、解明してみせました。






■■■■■■
わたしはここまでで、この話のホンの序の口を紹介したに過ぎません。
と言うよりむしろ、この話を紹介するのは極めて難しいんです。
これはもう読んでいただくしかありません。
ネタバレのした本なんて読みたくないでしょう？　だからわたしは何も言えません。

粗筋ならば他のサイトさんの方が詳しいでしょうので、そちらを読んでいただくのも１つの手です。ですからわたしは、わたしに言えることだけを書きます。





あなたも、この物語を読むことによって、「物語がまるまる本に入っていること」の謎を解明することができます。
この物語はまさに『読書体験』そのものを描いているのですから。

バスチアンは物語を読む。
物語に呼ばれる。物語に入り込む。
そして色んなことを感じ、学び、体験する。
読書を終えたとき、バスチアンはもう元のバスチアンではないのです。

そして、そんなバスチアンを読むのもまた、あなたがたなのです。

わたしたちは喜びや哀しみを消化するため、物語を読みます。
読み終えたあとのわたしはもう、読み始める前のわたしとは違う人物です。
読書体験は確固たる体積をもってわたしに訴えかけます。

そしてわたしたちはまた暮らし続けます。

わたしたちは皆
『はてしない物語』という名の人生を生きているのです。



■■■■■■■
いつものように長くなってしまいましたが、今日はこのへんで終わります。
「はてしない物語」は岩波書店から出ています。たいていの本屋さんに置いてありますよ。

岩波少年文庫からも出ているのですが、こちらは上下分冊になってしまい、しかも中の文字が緑と赤とに分かれて印刷されて<strong>ない</strong>んです。初めて読むひとは、図書館で借りるので充分ですから、ぜひハードカバーのどっしりした読み応えを味わってくださいな！

あなたも「あかがね色の表紙」に特別な思いを抱いてくれることを願って。]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>石井桃子さんのこと</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2008/04/post_8.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2008:/blog/hyakucho//5.188</id>
   
   <published>2008-04-05T14:20:57Z</published>
   <updated>2008-04-05T14:41:20Z</updated>
   
   <summary>コンニチハ＆コンバンハ！ ごぶさたしております、ナラヤマです◎ ホントウのホント...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      コンニチハ＆コンバンハ！

ごぶさたしております、ナラヤマです◎

ホントウのホントウにごぶさたなので、
おそるおそる、
こっそりと、
だれにも気づかれないように
更新したいと思います。

なぜかというと、
わたしにとってとても大切な人についてお話したいから、
ごぶさたで気恥ずかしくても
更新しなきゃならないなと思ったんです。




２００８年４月２日午後
児童文学者の石井桃子さんが
１０１歳で永眠されました。

この「百町森通信」の第１回目は『クマのプーさん』をとりあげました。しかもブログの題名である「百町森」というのはプーさんの物語にでてくる地名にちなんで名づけたものです。

その「クマのプーさん」を翻訳されたのは、ご紹介したとおり、石井桃子さんなんです。

訃報を知ったのはベッドのなかでした。
母に知らされたわたしは、どうしてもそんな辛いことを信じたくなくて、とりあえずまた眠りました。そしてまた起きたのですが、どうしても思い出したくないことがあるのだけは覚えていて、そしてまた眠りました。

それを現実なんだと受け止めたときには、他の多くの皆さんと同じように、ただただ悲しくて泣くばかりでした。





２００８年の３月は、石井桃子さんの作られた「かつら文庫」が５０周年を迎えた月。
あたかもかつら文庫のお誕生日をみとどけるかのようにして
石井桃子さんは旅立っていかれました。
ご自身の願いどおり、そのこうべに五色の星の王冠をかむり、新たな世界へと入ってかれたのでしょう。




このブログを通じてわたしは、わたしの好きな児童文学を紹介したいと願っていました。けれども、大好きな作品に向き合うたび、言葉がするする逃げていくのを感じていました。
言葉によって、言葉で表せること以上のものを、表している。

だからそれはどんなに言葉を費やしても足りないんだろう。
たとえば、梅の花びらは白くて、梅の花弁は赤い、だから遠目にながめると梅ノ木は薄紅に染まってみえるんだ。だとか、めがねを通じて電灯を見透かすときにだけあらわれるプリズム。だとか、赤ちゃんのふくふくした足の指。だとか、そんなイメージを通じてしか表われない何かがそこにあるのです。





それと同じように、わたしは石井桃子さんの偉大さの前に言葉を失います。
編集者／小説家／家庭文庫推進者
石井桃子さんのお仕事はどれも根っこでつながっていて、ひとつにまとめるのは非常に困難なのです。

だから、その代わりにわたしはただ思います。
わたしは、わたしが生きているあいだ中ずっと、
桃のかわいらしい花房をみるたび
石井桃子さんの誕生日と亡くなった日とを同時に思い起こすことでしょう。

日本の子どもたちはこれまでずっと石井桃子さんの美しい日本語でそだってきました。
そして、これからもずっと、わたしたちは石井桃子さんを敬愛しつづけます。

これまでありがとう。
そしてこれからもずっと、ありがとうございました。
心からの敬愛をこめて。
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>だれも知らない小さな国</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/11/post_7.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.158</id>
   
   <published>2007-11-03T16:55:45Z</published>
   <updated>2007-11-03T18:42:40Z</updated>
   
   <summary>気づいてみれば、前回のエントリがなんと９月でした。 わわ！ 猛省して長めに更新い...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      <![CDATA[気づいてみれば、前回のエントリがなんと９月でした。
わわ！
猛省して長めに更新いたします、よろしければお付き合いください



きょうは中学高校あわせて６年間通った、母校の学園祭だったのであります
母校は世田谷・経堂にあります。
二十歳になったのに乳臭いわたしはついつい遊びに行ってしまいました。
何と言っても懐かしいのは通学路。



中学生だけが通ることになっていた住宅街の道は、入り組んでいて幾つも抜け方があり、その日の気分によって選ぶことのできる、散歩好きにはたまらない造りでした。

人気者の猫がいつも昼寝していた室外機、魔女が住んでるみたいな洋館、おばちゃんがポインセチアをくれて「またあげるからおいで」と言ってくれたけれど何故か気まずくなって以来通るのを止めてしまった一本道、きれいな紅いろの百日紅、物知りの友だちが教えてくれて初めて桐だと知った独活の大木みたいな木、屋上から下のわたしたちにワンワン吠えていたゴールデンレトリーバー、ドナルドダックの偽者がほほえむ看板のクリーニング屋さん。



高校生だけが通るのを許されていた商店街。

通りすがるたびいいにおいのする豆腐屋さん。冬になると鯛焼きが並ぶ和菓子屋さん。合唱コンクールや卒業式のたんびに、指揮者や恩師に手渡すための花束を生徒が発注する花屋さん。予約すればケチャダンス実演がみられるというカレー屋さん。行列のできるラーメン屋さん。



商店街にはお洒落なお店がたくさん増えていてびっくりしました。
そういえば、bookpickorchestraもお世話になったことのあるROBAROBAcafeさん
http://www15.ocn.ne.jp/~robaroba/
も、この商店街の端っこにあるのです。

また、かの植草甚一氏も愛したという古本屋さん・遠藤書店さん
http://koshoendou.exblog.jp/
も、この商店街のもう一つのほうの端っこにあるのです。



さてさて前置きが長くなりましたが、
きょうわたしは遠藤書店さんで「星からおちた小さな人」「ふしぎな目をした男の子」「小さな国のつづきの話」の講談社文庫版を、それぞれ105円でゲットしました。
<img alt="daremo1" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/daremo1" width="240" height="320" />



これらは、かの名作、「だれも知らない小さな国」の続編たちです。
「だれも知らない小さな国」というのは、コロボックル物語集の第１作目でして、コロボックル物語集は全5巻を以って成ります。
わたしは既に「だれも知らない小さな国」と「豆つぶほどの小さないぬ」の２作を持っていたので、きょう遠藤書店で購入した３冊を合わせて、コロボックル物語全５巻の全てを手に入れたことになります。
<img alt="daremo2" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/daremo2" width="240" height="320" />



書かれたのは佐藤さとるさんです。
余談ですが、この写真の「だれも知らない小さな国」の作者は「佐藤暁」となっています。画家の方も、コロボックル物語の挿絵といえば村上勉さんなのですが、こっちでは若菜珪さんです。古い版なのでしょうね。レアなのでしょうか、得した気分です。



ちなみにわたしは、上に書いた３冊の他に、同じく佐藤さとるさんの書かれた「赤んぼ大将」という講談社文庫と、佐藤さとるさんの談話が載っている「作家が語るわたしの児童文学15人」という本も買いました。
早い話が大漁だったわけです！
<img alt="daremo4" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/daremo4" width="240" height="320" />
「作家が語るわたしの児童文学15人」というのは日本児童文学者協会というところが編集していまして、松谷みよ子さん・あまんきみこさん・那須正幹さん・舟崎克彦さん・岡田淳さん・末吉暁子さん・古田足日さん　などの錚錚たるメンバーが名を連ねています。
ここぞとばかりに自慢するわけですが、へへん、いいだろー！！



ところで以前bookpickorchestraには「ファンタジーの世界」という佐藤さとるさんの書いた講談社現代新書があったのですが、
川上さんにお願いして、わたし、買っちゃいました！
今は中身を割愛しますが、ユーモラスにかつ真摯に「児童文学におけるファンタジー」を解説した良書です。
川上さんによりますと、今ではなかなか手に入らない本らしいです。
いいだろー！



おっと、枕が長くなってしまいました。
きょうは小人のはなしをするつもりだったのです。

この地球に住む人間を二分するには色んな方法があります。
コーヒー派・紅茶派
蕎麦派・うどん派
日々の泡派・うたかたの日々派
翻訳小説派・国内小説派
便箋派・葉書派
犬派・猫派
晴れ派・雨派（ときたま曇り派）

わたしはそこに一石を投じたい！
この地球の人間を二分する方法としては『目の隅を何かが横切ったら小人が通ったんだと思ってわくわくする派・そうでもない派』が最適だと思うのです！！

そして『目の隅を何かが横切ったら小人が通ったんだと思ってわくわくする派』は更に
『それはコロボックルである派』と『それは借り暮らしの人である派』に分けることができるのですが、その話は今は置いときましょ。



そう！コロボックルとは小人のことです。
アイヌの伝承に登場するもので、コロボックルは「蕗の葉の下の人たち」という意味だそうです。
佐藤さとるさんによれば、彼らはあまがえるの皮をかぶって人の目をあざむき、人間より十倍も早口なのでゆっくり喋らないと何でも『ルルルル』としか聞こえません。
ヒイラギノヒコだとか、モチノキノヒコだとか、身近な自然にのっとった名前を持ちます。
ご先祖さまは、古事記や日本書紀でおなじみのスクナヒコノカミ。あの小さな賢い神様で、オオクニヌシノミコトの仕事を助けたというひとですね。色んな神社で祀られています。



佐藤さとるさんは、アイヌ伝説に登場する小人であるコロボックルを、みごとに生き生きと描き、わたしたちの身近に引き寄せてくれたのです。わたしたちの目に見えない小さなところで夢のようなできごとが繰り広げられているのでは、とのわくわくを教えてくれたのです。
経堂のあの蜘蛛の巣みたいな通学路を、もしもいつもと違う方向に曲がったら、奇想天外おかしな世界に紛れこんでしまうかもしれない。そんなわくわく。
小人の話を書いた人だけれど業績はでっかいのです



「だれも知らない小さな国」のすごいところは、リアリティがあるところです。
もう三十歳くらいの大人である主人公が子供時代を回想するところから話しは始まります。
主人公が子供時代に毎日遊んでいた裏山は、鬼門山という名前で、一寸法師くらいの魔物が住むという昔話が伝わっていた。
ある日主人公は、川に浮かぶ靴のなかに小指ほどしかない小さな人が二、三人乗って、こちらに向かってかわいい手をふっているのを見てしまいます。
なんだい、ありゃあ？
あれがこぼしさまだ！

主人公は、不思議のひそむ裏山をいつかじぶんのものにしたいと考えます
そして美しい山で毎日遊ぶのですが、
別の町へ引っ越してしまい、少しづつこぼしさまのことを忘れていきます。

そして戦争が始まり、終わりを迎えます。
何にも無い焼け野原をながめ主人公はぼんやり思うのです。
そうだ、あの山へ帰ろうと。



ここからは現在の話しです。
読者は、主人公と共に動き考え、裏山にひそむ謎を解明していくのです！

そして山を開拓するのですが、その様子がまた面白い。
一連の漂流モノや冒険モノに共通する、人間ひとりの力で自然を相手にする、あの気持ちよくお腹の空く感じが味わえます。
そしてまた恋も絡むのです！なんて良い本なんでしょうか。



結末まで書くのは野暮だろうのでこのへんで止めておきます。ぜひご一読ください。
シリーズの続編もほんとうのほんとうに面白いですよ！



ところでコロボックルは、この現代社会で生き抜くため、コロボックルの秘密を知り協力してくれる人間の仲間を必要としています。
しかしコロボックルを見世物にしたり実験台にするような人がいないとも限りません。
だから、コロボックルは人間を試します。
コレハと思う人間をみつけたら、まずは姿を隠し、その人間を監視します。そして良いと思ったら姿を現すのです。コロボックルの動きはとても素早いので、人間の肉眼には黒い小虫がさっと目の端を横切ったくらいにしか映りません。

わたしは
『目の隅を何かが横切ったら小人が通ったんだと思ってわくわくする派』
かつ
『それはコロボックルである派』
です。

だからわたしは、目の端を黒い何かが横切ったときは、もしやコロボックルかと
「わたしはあなたたちの味方です」
とそっと口にすることにしています。
そしたらコロボックルが姿を現してくれるかもしれないからです。




実は、まだその望みを捨てていません。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>チポリーノの冒険</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/09/post_6.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.143</id>
   
   <published>2007-09-15T17:05:50Z</published>
   <updated>2007-09-15T17:56:47Z</updated>
   
   <summary>きょうは、ちょっと珍しくイタリアの本をとりあげます！ 児童文学でイタリアのものは...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      <![CDATA[きょうは、ちょっと珍しくイタリアの本をとりあげます！
児童文学でイタリアのものはあまり聞いたことがないと思うのです。

これがジャンニ・ロダーリの書いた「チポリーノの冒険」です

<img alt="tiporino" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/tiporino" width="120" height="160" />

杉浦明平さんの訳で岩波少年文庫に入っているのですが、かなしいことに、どうやら絶版のようです。とはいえ古本屋さんに行けばみつかることもあるので、ぜひ探してみてください！この表紙が目印ですよ！





この本に人間は出てきません。
ちょっとだけ動物が登場、あと出てくるのは　<strong>『野菜』</strong>　たちばかりです。
そう、主人公のチポリーノも、タマネギという意味のチポッラから名付けられました。
彼は勇敢なるタマネギの男の子なのです。表紙で右端にいるのが彼です

人間は出てこないとはいえ、描かれるのは人間たちのとそっくりな社会。
レモン大公という暴君がのさばり、無実な人民は苦しんでいます。
しかし、レモン大公に仕えるトマト騎士や、サクランボ伯爵夫人が理不尽な圧制を強いるので、人民たちはレモン大公に立ち向かう力を蓄えられないでいるのです。
不正によって持つ者が私腹を肥やし、持たざる者が痛みをこらえる。

聞くところによると、イタリアの人民は国に全く期待していないと言います。
だからせめてものなぐさめに生活を楽しむのです。彼らの陽気さは、本来の国民性では無いそうです。





チポリーノのお父さんであるチポローネも、トマト将軍に捕まり、牢屋に入れられてしまいました。
哀しむチポリーノに父は語ります。
<blockquote><em>――牢屋というものは、泥棒や人殺しのためにつくられたのだ。が、レモン大公が国を治めるようになったときから、ぬすみや、人殺しをするものが宮廷にいて、牢屋には、りっぱな市民がはいっているんだよ。
――わたしは、おまえが自分のものをもって、勉強しに世間へ出てゆくように望んでいるよ。ただ一つのもの、つまり悪者のことを勉強してごらん。だれかとてもいばっているひとに出会ったら、しっかりその男のことを研究してみるがいい。</em></blockquote>

チポリーノは父と抱き合い、涙をふいて、悪者たちの勉強をしに、勇んで世間へ立ち向かっていくのです。
そして彼は誠実に悪者たちと戦います。
勝ち目はほとんど無いけれども、歯を食いしばって誠実に戦います。
人民を、父を、助けるために。

これはそんな切ない話しなのです。
そういえばタマネギは臭いし、貧しい食卓によくあがるものですよね。対してレモンやトマトはお金持ちの食べるものです。





けれどもこれは愉快な話でもあるんですよ！
登場人物たちがユニークな野菜だし、ところどころに突飛な描写が出てくるんです。

表紙にいる野菜から説明すると、左にいるのはサクラン坊や。
駄洒落がきいているでしょう！
彼はサクランボ伯爵夫人の甥なのですが、愛の無い厳しい躾のため、とうとう病気になってしまいます。友だちがほしくて寝込んでしまうのです。
そこに現れたチポリーノと友だちになり、生まれつきの賢さでもって敵を出し抜きます。

表紙の真ん中にいるのはカブ子です。

他に、イチ子という女の子も、チポリーノの冒険を助けます。
むろん彼女はイチゴです

考えを必要としたときには必ず錐で頭をかく、靴屋のブドウ親方。

いっしょうけんめいレンガを倹約して家を建てたのに、その家がものすごく狭くて、身を縮めて座っているうらなりカボチャのおじいさん。

愛器はナシのヴァイオリンである、ナシノ木ナシ男教授。

他にもたくさんのユーモラスな登場人物が現れ、
物語りを盛り上げてくれます◎





さいごに、チポリーノから日本の子どもたちへの挨拶文を引用しておきます。
なにしろとてもすてきなものですから！

<blockquote><strong>　歩け、歩け、どんどん歩けと、歩いて、とうとうぼくは日本に到着しました。日本では、火山が煙を噴きだしてうなっている一方で、サクラの花が咲いています。
　火山とかサクラとかいうものがどういうものであるか、ぼくは知っています。なぜかといえば、ぼくらのイタリアでも、火山はごうごうなってそびえ立っているし、木々は一生けんめいに花を咲かせるからです。

（略）

　この物語をみなさんが喜んでくださるよう、心からねがっています。ぜひみなさんを笑わせたいと、ねがっています。花は咲いているときに美しいものですし、子どもは笑っているときに美しいものです。

（略）

　ぼくの物語には暗い事件もあります。そういうことをお話ししなければならないのは、いやなことです。が、ぼくはそうしなければなりません。真実をかたるのはぼくの義務だからです。みなさんとおしゃべりできるように日本語を習ったか習わないうちに、みなさんにまっかなうそをいうためにみなさんの美しい国語を利用したら、とんでもないことでしょう。

（略）

　さあ、ぼくの物語がはじまります。この物語が、みなさんのすでにごぞんじのすばらしい物語の中の、片隅なりとも、席を見つけられるかどうか、だれにもわかりません。
　どうかぼくがみなさんを愛するように、みなさんもぼくを愛してください。そしてぼくがみなさんのお国を愛するように、みなさんもぼくの国を愛してくださるよう。

　チポリーノ</strong></blockquote>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>絵のない絵本</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/07/post_5.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.133</id>
   
   <published>2007-07-17T15:43:53Z</published>
   <updated>2007-07-17T16:02:54Z</updated>
   
   <summary> これまで長い文で長い本を紹介してきたので、 今日は短い文で短い本をご紹介したい...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      
これまで長い文で長い本を紹介してきたので、
今日は短い文で短い本をご紹介したいと思います

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『絵のない絵本』です

色んなところから出ていますが、今日は新潮文庫のをオススメします
『夏の百冊』にも選ばれているし、表紙イラストは人気イラストレーターのスドウピウさんなんですヨ！

貧しい絵描きに　月が　ひと晩にひとつずつ
お話しをしてくれます
夜毎　世界中をめぐって見下ろした　地上の　
幻想的な話し、悲愴な話し、愉快な話し

読んでいると、
小さな香水瓶や　古い切手や　玩具箱の玩具や
そんなものが集まっているような気持ちになります

眠る前にちょっとずつ読むのがオススメです！

私の特に印象に残っているのは
道化の恋
中国の若い恋人
フランスの玉座で死んだ少年
の話しでしょうか。

なぜ題名を『絵のない絵本』というのかちょっと考えてみますと
アンデルセンは言葉だけで美しいものを書いてみせました。
しかし、読み手のわたしたちの心に浮かぶのは美しい情景、わたしたちは読みながらそれらを目に浮かべるのです

そんな想像を楽しむ本だから『絵のない絵本』というのだと思います

アンデルセンは
昔話的手法を用いて　独自の童話を書いたことで知られています
例えば昔話的手法というのは
「３人兄弟がいたら、必ず２人のお兄さんは意地悪く失敗し、末っ子が幸運をつかむ」
というような物語の型のことです。

『絵のない絵本』は
どちらかというと
『即興詩人』のような、世界の美しい情景を切り取るスケッチのような、詩美のようなものを感じる話しです

ぜひぜひ本屋さんで手にとってみてください◎
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>あしながおじさん</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/06/post_4.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.120</id>
   
   <published>2007-06-09T16:20:56Z</published>
   <updated>2007-06-09T17:19:48Z</updated>
   
   <summary>ところで読者のみなさまに質問です 『レモンゼリーのプールで泳げるかどうか？』 『...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      <![CDATA[ところで読者のみなさまに質問です

『レモンゼリーのプールで泳げるかどうか？』
『完全な球体であるところの鏡の中に入ったら、どこまで自分の顔が、どこまで自分の体が映るのか？』

なかなかの難問ですね！
ジューディはカレジの夕食にて、こんな知的興味あふるる話題を、仲間たちとわいわい繰り広げていたのです

もちろんジューディとはジルーシャ・アボットの可愛い仇名。
けれどもジルーシャは、ジューディという仇名を自分で考え、自分につけねばなりませんでした
何故ならジルーシャ・アボットは孤児であり、家族も友達もいなかったから、誰にも親しい仇名で呼ばれたことがなかったのです
彼女はジョン・グリーア孤児院にて、リペット院長にいじめぬかれながら、十六歳までを過ごします。

しかし、彼女の書いた作文が　あるお偉い評議員の目にとまったことで　人生が一変。
ジルーシャはその評議員にお金を出してもらってカレジ（大学！）に入学できることになったのです！
条件は、月に一回、ジルーシャの大学生活を手紙に書き、評議員に送ること。

かくして児童文学史、いや米文学史に燦然と輝く“書簡体”の素晴しい小説が生まれたのでした

＊＊＊

そんなわけで今日は「あしながおじさん」「続あしながおじさん」の話をします

「あしながおじさん」と言えば「匿名で善行を積むひと」の代名詞となっていますね。では何故「あしながおじさん」が「あしながおじさん」と呼ばれているかご存知ですか？
ジューディが、正体不明の評議員さんを一回だけチラリと見かけたとき、彼の影が手足の長いクモのように浮かび上がったからなのです
あくまで正体を隠す評議員さんに手紙を書かなきゃいけないジューディは、せめて評議員さんを身近に感じようと、あしながおじさんという仇名をつけたのです

このように　この物語は　ジューディという女の子の快活な・ウィットに富んだ・時に癇癪もちな　文章によって全編を貫かれています

作者はウェブスターという女性ですが、挿絵も彼女自身が描いており、とてもユーモラスで素敵です
ご一読される際には是非ウェブスターの挿絵がついてる版をオススメします

<img alt="ashi1.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/ashi1.jpg" width="480" height="640" />



＊＊＊

この作品の魅力は　何と言っても　アメリカのカレジでの楽しそうな日々です！
冒頭に上げた命題も相当心躍るものですよね！

その他にジューディは、サリーという愉快な親友を作り、ジューリアという高慢な子と知り合い

幼い頃に読めなかった「若草物語」「シャーロック・ホームズ」「不思議の国のアリス」「ロビンソン・クルーソー」「ジェーン・エア」「デヴィッド・カッパーフィールド」を読み耽り

そして「虚栄の市」「サミュエル・ピープスの日記」を読み耽り

バスケット・チームに入り大学総長選挙に熱狂し
夏休みは農場やサリーの家でニギヤカに遊び
美しい洋服に熱狂し

幾何を
ラテン語を
英語を
経営学に打ち込み、奨学金をとり
社会思想や宗教を考え

そして　恋をします。

小学生の私は、この本を読んで、アメリカではどのような文学が最低限の教養とされているか知りましたし、
何より大学での生活に心惹かれました。
楽しそうでおいしそうなんです

そしてあっという間に　今の私は大学生です　
ジューディのおかげで　大学をどう楽しめばいいのか、コツはつかめているつもり◎なのですが…

＊＊＊

善意のあしながおじさん、けれどジューディは、その善意を心から喜び盲目的に彼に従うわけではありません。
施しを受けるのを、彼女は嫌います。
姿を見せないくせに彼女にするべきことを押し付けるあしながおじさんにジューディは強く強く反発します。けれども感謝の心は忘れられません。

作中にはジューディの宗教観／社会観がはっきりと述べられています。
孤児院という社会の底辺にいたからこそ、彼女は現実的に物事を見据えます。

さて、あしながおじさんに対して愛と反発を感じるジューディ、その落とし所は如何に？
ぜひ読んでみてください◎
私の持っているのは岩波少年文庫です

＊＊＊

さてさて「あしながおじさん」には続編があるってこと、意外に知られていないようです
邦題は「続あしながおじさん」ですが、原題は“DearEnemy”、「親愛なる天敵さんへ」というような意味です

<img alt="ashi2.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/ashi2.jpg" width="480" height="640" />



この「続あしながおじさん」の主人公は、なんと、サリー！！
「あしながおじさん」でジューディの親友となった赤毛の女の子です

そしてサリーは、なんとなんと、かの悪名高きジョン・グリーア孤児院の院長となり、ここの立て直しを図るのです
青いギンガムチェックの服しか着られない子供たち、まずい食事、狭い部屋、無能な職員たち……
孤児たちには愛が足りません。

個人的にはこの続編の方が好きです！サリーのさっぱりしていて元気なことといったら！
そして孤児たちの乱暴で愛くるしいことといったら！

こちらも書簡体で書かれていますが、前回は「あしながおじさん」に向いてだけ書かれていたのに、今回は「ジューディ」「強敵さん」「ゴードン」の３人に向けて書かれています。
だからよりニギヤカになっています。
サリーは差出人によって書く内容も雰囲気も変えるのでそこが楽しいです。

和訳は「強敵さん」となっていますが、彼こそは原題に出ていたenemyのこと。
ジョン・グリーア孤児院の専属医師です。
とても気難しくて厄介な人物、だからサリーは彼を強敵と呼びます。

ゴードンはサリーの婚約者！！
もはや何も言うことはありますまい。けれど……

孤児院にはそりゃ多くの問題がふりかかります。
ひとつひとつが面白いのですが、全て書いていると、「続あしながおじさん」の全頁を丸写しすることになりかねません。
ぜひご一読を！私が持っているのは偕成社文庫です。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>二年間の休暇</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/05/post_3.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.114</id>
   
   <published>2007-05-24T22:54:58Z</published>
   <updated>2007-05-24T23:11:14Z</updated>
   
   <summary>　じぶんが大人になることを実感する瞬間、きっと誰でも経験したことがあるだろうと思...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      <![CDATA[　じぶんが大人になることを実感する瞬間、きっと誰でも経験したことがあるだろうと思います。
　もう子どもではない、もう子どもには戻れない、これからは赤ん坊の生まれた時から遠ざかるばかり、遠ざかるばかりで、そしていつか老人となり隠れゆくのだと

　子どもの抱く漠とした不安は無くなるけれど、呼吸してるだけで嬉しくなる子どもみたく時間は遅く過ぎないし、かすみがかった夢はどんどん具体性を帯びて生活と責任が立ちはだかってくるのです。

　おーやだやだ！
　でも思ってたより悪いことばかりじゃなさそうですね。だってひとつには、オトナは子どもの読めない本を沢山読めます！

　あなたがオトナを実感したのはどんなときですか？　何がきっかけでしたか？　私のきっかけは、十五歳になって、十四歳のゴードンの年を追い越してしまったこと。ゴードンは「二年間の休暇」の登場人物、沈着冷静なアメリカ人の少年です。

　そんなわけで今日はジュール・ヴェルヌ原作の「二年間の休暇」についてお話します。

　日本では「十五少年漂流記」の題で親しまれているこの本ですが、フランス語の原題を忠実に訳すると「二年間の休暇」となるのです。少年少女に大人気なので、様ざまな出版社から様ざまな訳で出ていますが、今日は私の手元にある【福音館書店・1968年・朝倉剛訳】を元に話させていただきます。

　ところで写真に載せたこの「二年間の休暇」、ボロボロでしょう？　
<img alt="ninenkan1.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/ninenkan1.jpg" width="640" height="480" />
 
 表紙は完全に本文用紙と離れています。いつ本文用紙がばらばらになるのか不安で仕方ない。本来なら本を守る役割のはずの箱も、紙が痛んでぐずぐずとなり、もはや箱の形じゃなくなっています。

<img alt="ninenkan2.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/ninenkan2.jpg" width="640" height="480" />
<img alt="ninenkan3.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/ninenkan3.jpg" width="640" height="480" />


　それもしょうがないのです。1968年というのはこの本の初版年、幼かった私の父が読みふけり、そのまま大切に取って置かれ、そして娘である私が引き継ぎ、愛読書として至る所に連れていったため可哀相に傷だらけとなってしまいました。我が家でいちばんボロボロの本です。図書館なんかでも子どもたちに人気のある本ほど壊れやすいのだそうです。愛されてる本の証ですね！

　フランスは絵本が多い代わりに児童文学は少ないそうです。しかも絵本はアートブックとして親しまれているのであり、子供向けの本に関心が高い、というわけではなさそうなんです。フランス文学は洒落て難解だし、フランス映画の恋人たちは“ベッドのなかでも哲学談義をする”くらいのお国柄。
　それを反映してか、フランスを代表する児童文学者のジュール・ヴェルヌも、むしろ科学読み物の凄腕作家として有名です。例えば「八十日間世界一周」「モロー博士の島で」。我がbookpickorchestraでも紹介したことがあります⇒http://www.bookpickorchestra.com/contents/sougen/index_j.html（真ん中あたり）　　ほんとうは創元推理文庫にのっちゃうような作家さんなんですよ。
　そして彼はフランス人ですので、イギリスのことがあまり好きではないらしく、「グラント船長の子供たち」「海底二万海里」「神秘の島」は、イギリスに虐げられたインドの気高き貴族（とほのめかされる）ネモ船長（ネモは誰でもないの意）を登場させる三部作をとっています。
　彼の先見の明のある科学観を例に挙げると、「神秘の島」のなかで『将来は水素がエネルギー源になる』というような予言めいた台詞があるくらいです。１９世紀の後半のひとがですよ。すごいでしょう？

　脱線しますが「海底二万海里」はディズニーでアニメ化されていますし、日本アニメの「ふしぎの海のナディア」の原案にもなっています。東京ディズニーシーには「海底二万マイル」のアトラクションもあります。潜水艦に乗って海底に潜り、深海の生物に遭遇したり、冒険気分の味わえるとても楽しいものですが、原作とはあまり似ていません。
　「八十日間世界一周」は映画化されていますね。最近ではジャッキー・チェンがコミカルに脚色したものをやっていました。

　ヴェルヌの素晴らしいところは、想像力をかきたてる精密な描写です。まるで自分が海底に潜っているような、自分が孤島に取り残されているような、あの臨場感です。版画の挿絵がその魅力をいっそう高めています。
　冒険が大好きな、大人の干渉のない遊びを求めている、そんな子供たちが夢中になるのは当たり前のことです！　しかも「二年間の休暇」は子どもたちが主人公なんですよ、素晴らしい。
　登場するのは十五人の子供たち。黒人のモコ（国の記述無し）、アメリカ人のゴードン、フランス人のブリアンとジャック、その他全員はドニファンを筆頭にしたイギリス人。いちばん上は十四才、いちばん下は八歳。ある日彼らはある事故によって、大人の乗組員の乗っていない船《スルギ号》で、大嵐に遭い難破してしまいます。たどりついたのは無人島です。しょうがなく彼らは子供たちだけで生き抜く決心をします。島の名前を自分たちの母校にちなんでチェアマン島と名付け、大統領を決め、日々の日課を決め、野鴨や鴫を狩り、博物学の知識を駆使して茶ノ木や砂糖かえでを食料にします。なんて魅力的な生活でしょうか！
　しかし、そこにブリアンとドニファンの諍いがつきまといます。ゴードンは心を痛めて仲介しますがどうにもなりません。そしてスルギ号は何故漂流したのか、という謎も残ったままです。そして無人島のはずのチェアマン島に怪しい影が現れ――
　
　幼い私にとって、十四歳のゴードン、十三歳のドニファンやブリアンは充分にお兄さんでした。彼らの勇気ある誠実な姿勢からたくさんのことを学びました。

　続きは是非読んでみてくださいネ◎]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>風にのってきたメアリー・ポピンズ</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/03/post_1.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.108</id>
   
   <published>2007-03-27T17:22:08Z</published>
   <updated>2007-03-27T17:42:22Z</updated>
   
   <summary>今日は 「風にのってきたメアリー・ポピンズ」 「帰ってきたメアリー・ポピンズ」 ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      <![CDATA[今日は
「風にのってきたメアリー・ポピンズ」
「帰ってきたメアリー・ポピンズ」
「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」
について書こうと思います

　作：パメラ・Ｌ・トラヴァース
　訳：林容吉
発行：岩波書店


■メアリー・ポピンズとは何者か■
  

メアリー・ポピンズは
桜町通り１７番地、バンクスさんの一家に　
東風に乗ってやって来た乳母です

イギリスの中流家庭では、
お母さんが子供の世話をすることはほとんどなく、
雇われの乳母がつきっきりで子供部屋にいたのです

現在のイギリスでは、メアリー・ポピンズというキャラクターが
すっかり世の中に浸透し、
「良い家庭教師求む」という意味の新聞広告で
「メアリー・ポピンズ求む」というのが出るそうです！

メアリー・ポピンズは　つやつやとした黒い髪をもち
やせていて手や足は大きく
小さいキラキラした青い目をして　
ちょっと木のオランダ人形に似ています

そしてメアリー・ポピンズは
ひどく辛口で
躾に厳しく
おまけにナルシスト！


<img alt="popins1.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/popins1.jpg" width="640" height="480" />


■メアリー・ポピンズの魅力とは


けれども
バンクス家の４人の子ども、
すなわち
ジェイン、マイケル、ジョンとバーバラのふたごたちは
メアリー・ポピンズを心から慕います

なぜなら
メアリー・ポピンズの周りには次つぎと不思議なことが起こるから。
夜の動物園の檻に、動物の代わりに人間が入れられていたり
星座たちのサーカスを観たり
ジンジャー・パンの星が夜空にはりつけられたり
夢の中に入り込んだようです、なんて素敵な子供部屋なんでしょう◎

決してメアリー・ポピンズ自身が変わっているのではありませんよ！
とんでもない！
こんなに有能な彼女がおかしいだなんて、有り得ないことです
むしろメアリー・ポピンズは
鼻を鳴らしながら
その奇妙な状況を慌てず騒がず整理していきます

そう、メアリー・ポピンズは
子供におもねっていないから良いんです！

だって、しょっちゅう理不尽なことでバンクス家の子供達を叱るんです。
不思議なことが起こっても、子供達に説明をしようとはしてくれません。

でも、その嘘のない性格を、子供たちは非常に愛すのです。
子供たちは甘い言葉で言いくるめられるのを好みません。

バンクス家だって、
怠け者のロバートソン・アイ、
いつも鼻風邪をひいて子供達を邪険に扱うエレン、
時にかんしゃくを起こすバンクスさん、
気をくさらせていたずらを起こす子供たち、
などなど　とても絵に描いたような理想の家庭とは呼べません。

しかし　たいていの家庭なんてものは　そんなものなのであって
子供たちは　子供として無神経に扱われ　憤慨するものです

その狭い世界、しかし後になって考えてみれば安らかな世界、
それをちゃんと描いているのがメアリー・ポピンズのシリーズです

“わたくしは子どものために書いているのではないというのが、わたくしの堅い信念で、子どものために書くという考えは、てんからわたくしの頭のなかにはないのです”

と作者のトラヴァースは述べています。
子供におもねる作品はつまらない、ということが言えると思います。

それにメアリー・ポピンズは骨の髄から冷たい心根をしてるわけではありません
ほんとうは子供達のことを心から思い遣っています
時には優しい目をしてお話しをしてくれることもあるし、
いなくなる時だって、心のこもった贈り物を残してくれます。


<img alt="popins2.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/popins2.jpg" width="480" height="640" />



■昔話の手法


作者のトラヴァースはこう言っています

“わたしとしては、いっときたりとも、わたしがメアリー・ポピンズを作りだしたなどと思ったことはありません。きっと、メアリー・ポピンズが、わたしを作りだしたのだと思います……”

彼女は熱心な道教信者だそうです
不勉強なもので　私もタオの思想を理解できてはいませんが、
つまり人間がこの世に生み出した物は何一つ無い、人間はただ世界に隠れている物を見つけるだけ
ということなんだと思います。

世界に隠された原理を語り出そう、というのは古代から営まれてきたことで、
それは神話や昔話となりました。

メアリー・ポピンズも、そんな昔話の手法で書かれていると思います。
例えばそれは、このシリーズ３作とも、大体似たような構成をしていることからも分かります。

・メアリー・ポピンズの来訪
・メアリー・ポピンズの親戚や友人との騒動
・バンクス家の子供の一人が悪い子になる
・メアリー・ポピンズの外出
・メアリー・ポピンズの昔語り（その題材はイギリスの諺やマザーグースにちなんでいる）
・メアリー・ポピンズ帰る

などなど、大雑把に言えばこんな感じです

読んでいただければ分かると思うのですが、
設定は同じだけれど出来事と登場人物が異なる、というようなエピソードが
３作に繰り返し現れます。

幼い私は、何度も繰り返し３作を読み、このリズムを自然と浸み込ませました。
初めからその事に気づいたわけではありません。

考えてみれば、メアリー・ポピンズも
イギリスの一般家庭に奇天烈なことを持ち込む、
神話的人物と言えるのかもしれません。


■その他諸々のこと


挿絵のメアリー・シェパードは、
前回に紹介した『クマのプーさん』を描いたＥ．Ｈ．シェパードの娘さんです


実はメアリー・ポピンズのシリーズは３作で終わりなのではありません。
３回の訪問のあいだに起こった出来事で今まで書かれなかったものをまとめた「公園のメアリー・ポピンズ」、アルファベットの教科書のような「メアリー・ポピンズ　―ＡからＺまで―」というのも出ています

そして３連作を書き上げてから２５年後、なんとトラヴァースは
「さくら通りのメアリー・ポピンズ」「メアリー・ポピンズのお隣さん」
の２作を発表しています。
日本では篠崎書林から荒このみさんの訳で出ています。
私もじっくり読んだことはないのですが、確か道教の思想がより濃く表現されていたかと思います。


■メリー・ポピンズのこと


この世の人間は、Mary Popinsを
メアリー・ポピンズと呼ぶ人、メリー・ポピンズと呼ぶ人、
この二種類に分けることができます！　本当です！

メリー・ポピンズと呼ぶのは　ディズニーのミュージカル映画を観た人達です

１９６４年、ディズニーによって
「サウンドオブミュージック」のジュリー・アンドリュース主演で映画化されました

衣装はカラフルですごく可愛いです
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「チム・チム・チェリー」
なんかの歌も、名曲です！　踊りだしたくなるような曲ばかりです
アニメーションで登場するペンギンもユーモラスですよね

難を言えば、映画の方のポピンズは、なんと性格が優しいんです…
本の方の、あのツンとしたポピンズに慣れた人には、物足りないかもしれません

心がバラバラになっているバンクス家を、
ある日、風に乗ってやってきたメアリー・ポピンズが建て直す、
というストーリーだったと記憶しています

ミュージカル映画として素晴らしい作品なのですが、
見事にアメリカナイズされてしまっています。


ところで主演のジュリー・アンドリュースですが、
彼女は女優だけでなく児童文学作家としても有名なんですよ、ご存知でしたか？
ぜひ「偉大なワンドゥードルさいごの一ぴき」「マンディ」を読んでみてください。



今日の参考図書：「子どもの本の８人」　ジョナサン・コット著　鈴木晶訳　晶文社　１９８８年
]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>クマのプーさん／プー横丁にたった家</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/03/post.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.107</id>
   
   <published>2007-03-11T14:33:35Z</published>
   <updated>2007-03-13T06:14:27Z</updated>
   
   <summary> 　初回の今日はこのブログのタイトルの由来となった「クマのプーさん／プー横丁にた...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      <![CDATA[ 　初回の今日はこのブログのタイトルの由来となった<strong>「クマのプーさん／プー横丁にたった家」</strong>についてお話します。『百町森』というのはプーくまやクリストファー・ロビン、ウサギやコブタの住んでいる森の名前なんです。
　プーがちいさい黒雲に化けてミツをとろうとした、プーがウサギの穴におなかをつかえさせた、プーがのーす・ぽールをはっキンした、あそこなんです。

　皆さんはもう　プーくま　とは親しい仲でしょうか？　このブログの右上にいる男の子のシルエットがクリストファー・ロビンで、頭をはしご段にぶつけながら男の子といっしょに階段を降りてくるのがプーくまです。あの、まぬけで、午前十一時にハチミツを一口やるのが大好きな、気の好いくまです。

　プ－のシリーズは「クマのプ－さん」と「プ－横町にたった家」の２冊から成っています。
 <img alt="hyacchou.jpg" src="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/img/hyacchou.jpg" width="480" height="640" />


　主人公のクリストファ－・ロビンは実在していて、ほんとうに作者A.A.ミルンの息子です。登場人物のプ－もコブタもウサギもフクロもイーヨーもカンガもルーもトラ－も、ほんとうにクリストファー・ロビンの持っていたぬいぐるみがモデルになっています。ミルンは、幼い息子の姿に、自分の中に眠る幼心を重ね合わせ、あんなにやさしい話しを書いたのです。

　１冊目は、父であるA.A.ミルンが、息子のクリストファ－・ロビンにお話をする形をとっています。物語りを口頭で伝える、というのは幼いころにみなさんも親御さんにしてもらった経験があるかと思いますが、臨場感があってとても楽しいものですよね！　しかもそのお話には、クリストファ－・ロビンのぬいぐるみ、またクリストファ－・ロビン自身も登場人物として出てくるのです。
　プ－くまはぬいぐるみ故ちょっと間の抜けたことをやらかしますが、クリストファ－・ロビンは「ばっかなくまのやつ！」と愛着をもってプ－を見守り手助けしてやります。ぬいぐるみばかり住んでいる百町森において、つまり幼少の子供部屋において、クリストファ－・ロビンは頼もしく全てを解決してくれる存在です。

　ちょっと肩肘の張ったことも言いますと、口承文芸というのは、人間が言葉を持つようになるのと同時に生まれた、非常に原始的な文学の形です。例えば神話や昔話。それは語り手と聞き手を必要とし、聞き手も物語りの内容を左右する大切な要因となるのです。
　児童文学はこのことをよく知っていて、語りの形式をとったお話がたくさん作られてきました。なにせ子供は聞き語りを非常に喜ぶんです。近所の図書館で「おはなし会」というのが開かれていませんか？　　そして語りかけるように書かれた、読むだけで情景が浮かんでくるような文章は、児童文学だけでなく大人の文学においても重要な要素です。
　
　そんなつまらない分析は置いておいても、ミルンは幼い息子の目をとおして、おだやかで可愛らしく、かつすぐに消える運命をもつ"幼少時代"というのをあぶりだしたのでした。何の心配もない世界です。子供らしいまちがいも訂正されず、そのままに受け取られる世界です。なんにもしない、ただ気苦労も無く遊ぶのが全て、暮していくのが嬉しい世界です。まるで黄金色のうたたねのような

　しかし２冊目の「プ－横町にたった家」において、子供部屋の世界は変化していきます。当然育ち盛りのクリストファ－・ロビンはぐんぐん成長してしまいます。彼は勉強を始め、ぬいぐるみたちに会う時間も短くなっていきます。

　　<em>――「午前ちゅう、クリストファー・ロビンが、なにをするかと？　あの人は、学問をしているのじゃ。あの人は、教育をうけとるのじゃ。あの人は、知識をキンキュー――ということばを、クリストファー・ロビンはつかったと思うが、わしはべつのことをいっとるかもしれん――しとるのじゃ。」</em>（「プー横丁にたった家」第5章のなかのイーヨーの台詞）

　　<em>――クリストファー・ロビンは、いってしまうのです。なぜいってしまうのか、それを、知っている者はありません。なぜじぶんが、クリストファー・ロビンのいってしまうことを知っているのか、それを知る者さえ、だれもないのです。けれども、森じゅうの者は、どういうわけか、ひとり残らず、とうとうそういうことになるのだということを知っていました。</em>（「プー横丁にたった家」最終章冒頭）

　いちばんさいご、クリストファ－・ロビンはプ－くまと共に"魔法の丘"へ出かけます。ずっと子供のまま遊んでいられる魔法の場所です。クリストファ－・ロビンはこれからどんどん大人になっていくでしょうが、彼の幼心だけは、最愛のプ－くまとずっと一緒に秘められたところにいるのです。

　ミルンはイギリスの有名な雑誌「パンチ」に記事を書く一方、既に「わたしがこどもだった頃」という詩集で文学者としての地位を確立していました。そしてこの「くまのプ－さん」で大絶賛を受けます。
　プ－シリーズに雰囲気ぴったりの挿絵をつけたE.H.シェパードの功績も忘れてはなりません。本のプ－、といえば皆さんもひとり残らず同じ絵を思い浮かべることと思います。彼はケネス・グレアム「たのしい川べ」や自身の著作「チム船長のおはなし」でも有名です。

　けれども自身の幼い時期を世界中にみつめられることとなったクリストファ－・ロビンはどのような心境だったでしょう。一説には本のクリストファ－・ロビンのモデルはクリストファ－・ロビンではなく、その小さな弟とも言われています。ともかく彼は父親と不仲となってしまいました。僕はあんなに純粋じゃない、と彼は述べています。

　どうです、児童文学の名作一冊をとっても、大人の本に負けないくらいのドラマが待ち受けているでしょう？

　こんなすばらしい本を日本に初めて紹介したのが、児童文学作家かつ翻訳家かつ編集者の石井桃子さんでいらっしゃいます。なんと今年の３月１０日に百歳の誕生日を迎えられました！　

　まさに今、銀座の教文館に入っているナルニア国という児童書専門店にて、石井桃子さんの誕生日を祝うフェアーが開かれています。レトロな長細いビルの６階です。小さい時から石井桃子さんのご本を読んで育ち、成長してから石井桃子さんの百歳を祝える喜び。これまでもこれからも石井桃子さんのご本は日本の子供達に愛されていくでしょう。
　私は１０日に遊びに行ったのですが、子供からおばあちゃんまで全ての年齢層のひとが石井桃子さんの本を読みにナルニア国を訪れていて、涙ぐんでしまいました。

　教文館　http://www.kyobunkwan.co.jp/
　ナルニア国　http://www.kyobunkwan.co.jp/

　石井桃子さんの名前を知らないひとは多いでしょうが、彼女の関わっている児童書や絵本を読んだことのないひとはきわめてまれでしょう。いやあ皆さんが気づいていないだけですって！　石井桃子さんがいなくては日本児童文学界は非常な遅れをとっていたでしょう。恐ろしいことです。
　
　また、石井桃子さんは御自宅を「かつら文庫」として近所の子供たちに解放し、日本の家庭文庫の道を開かれました。現在「かつら文庫」は「東京子ども図書館」という団体に託されています。
　ミーハーな私は去年見学に行ったのですが、住宅街のまんなかに小じんまりとした図書館があり、棚にはずらりと海外日本のすばらしい名作が並び、次々に子供たちが遊びに来て、座り込んで本を読み聞かせてもらっていました。日本にこんな場所があったのか！と感銘を受けた瞬間でした。

　東京子ども図書館　http://www.litrans.net/maplestreet/tklib/

　石井桃子さんが初めてプ－に出会ったのは、あの犬養毅首相のお孫さんにクリスマスに語り聞かせたのが最初だ、という逸話を知っていますか？
　まったく私なんかの口からは石井桃子さんの業績を語り尽くすことはできません。今月号の　「yomyom」　「MOE」　「AERA」　などに特集されてますので、ぜひぜひ読んでみてください。立ち読みでもいいですから！

　ともかく、海外翻訳児童文学において"翻訳"というのは大切です。作品の神髄をみきわめ、外国語文法を直訳するのでなく、その作品に合った日本語を選び、作品を再構築するのです。日本と異なる文化の文章は子どもたちを魅惑し、それをお伽の妖精の世界と混同するようになります。
　プ－さんの、あの簡明で美しい文章。かつ石井桃子さんにしか出せないような言葉の雰囲気。

　　――ふしぎだな
　　　　　クマはほんとに
　　　　　ミツがすき
　　　　　ブン！　ブン！　ブン！
　　　　　だけど、そりゃまた
　　　　　なぜだろな
　　　　　（「クマのプーさん」第一章、プーのつくったみじかい歌）
　
　最後に児童文学のキャラクター化について述べようと思います。クマのプ－さんはディズニーに著作権を買われ、世界的に有名なマスコットになりました。「あの黄色い熊なんてプ－じゃない」「あれはあれで良いものではないか」「両方を知り、幾つもの表現法法から作品理解を深めることが必要」「ディズニー・プ－大好き！グッズもたくさん持ってます」などなどなどたくさんの意見があります。
　ディズニーが挿絵画家E.H.シェパードの遺族との裁判に負け、プ－の版権を回復できなかった、というニュースも入ってきました。

　http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_02/g2007021903.html

　今後どうなるのか、注目されるところです。

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>はじめの言葉</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/2007/02/post_2.html" />
   <id>tag:www.bookpickorchestra.com,2007:/blog/hyakucho//5.91</id>
   
   <published>2007-02-04T15:16:57Z</published>
   <updated>2007-02-04T15:20:00Z</updated>
   
   <summary> みなさま　はじめまして、こんにちは 今日から『児童文学』を軸にこのブログを書い...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.bookpickorchestra.com/blog/hyakucho/">
      
みなさま　はじめまして、こんにちは
今日から『児童文学』を軸にこのブログを書いていくことになりました、
ブックピックオーケストラ　クルーの　ナラヤマと申します。

なにぶんわたしも　ただの本好き、
聞きかじりの知識をお裾分けすることしかできませんが、
わたしの敬愛する作家さんについて　熱っぽく書き綴ることはできます。
　
みなさまに少しでも　この素敵なジャンルの良さ　すなわち

子供部屋にひっくりかえったカラフルな玩具箱を、
海のむこう地平線の向こうに胸を焦がす少年の憧れを、
 蝶じみた羽をふるわす妖精に扮す少女の毒を、
毛むくじゃらの足先でカップを握る動物とのティータイムを、
子供の小さな心臓をひねりつぶす人生の悲しみを、

お届けできますよう　精進していきますので　どうぞよろしくお願い致します。

*****

まずはじめに、そもそも『児童文学』とは如何なるジャンルか？


　子供の読み物とて侮るなかれ！


児童文学という表現手段を採ったからといって、その内容が子供向けだということにはなりません。
むしろ
「子供騙しの」「勧善懲悪の」「おためごかしの」「教訓的な」
文章をこそ子供が厭うんだってことは　みなさんにも覚えがお有りでしょう。
例えば 小学校の夏休み、文部省推薦の課題図書に　良い思い出ってあるでしょうか？
　
子供を馬鹿にしてはなりません。
彼ら彼女らは、確実に、その文章の欺瞞を見破ります。
彼ら彼女らは、真に美しく／真に面白く／真に正しい／ものしか受けつけないのです。
神格化するわけじゃなく、子供はわがままだってだけの話。

わがままなのは　子供も大人も同じでしょう？

児童文学は確かに子供を読者と想定しているけれど、
実は　大人も読めるくらいに面白くないと　子供の心を惹きつけないのです。

作者は、子供が読者であるという事実を利用して、自分の想いや主張を種に、真摯に物語を書くのです。

けれども悲しいかな　子供向けの本というのはピンからキリまで世に溢れています。
子供っぽい作品をつくるのは容易いことだからです。

そんな中、昔から読み継がれてきた名作なら安心して読める、というのが通説のひとつになっています。淘汰されてゆくわけですし、昔の子供も今の子供も楽しめるのなら、そこに光る何かがあるから、というわけです。

*****

このブログでは　保守的な児童文学愛好家であるわたしが　海外児童文学の古典や　日本児童文学の名作について　書き綴っていくというわけです。

偏っていて申し訳ないなと思うのですが、楽しんでいただければ幸いです。　

      
   </content>
</entry>

</feed>
