| 智恵子抄(20050905mon)
メゾン・ド・ヒミコが公開中ですね。「ジョゼと虎と魚たち」で有名になった犬童一心が監督で柴咲コウとオダギリジョーが出ているどうやら恋愛映画みたいです。前に新宿の映画館で塩田監督の「カナリア」を見てた時にこれの予告編を見て、二人の間にたちふさがる余命幾ばくもないゲイ専門老人ホームに暮らす柴崎コウの父親役をダンサー/舞踏家の田中泯さんが演じると聞いて、ええー!なんだそりゃ。といささか興奮し、平間至さんのスチールもいいしで、なかばもう見た映画よりもインパクトがあって(いや、ちょっと嘘だけど)ずっと見たいな見たいな、と思いつつも渋谷のシネマライズはごみごみしていて好きになれないと思いつつ、まあ多分そのうち見に行くんだと思いますが、とりあえず前哨戦としてDVDになった「ジョゼ〜」を見てみました。メゾン・ド・ヒミコの話題がのぼったとき、同居人の二人ともが揃って誉めていたのもあって。結果。よかったです。何がいいかって、DVDはいろいろ特典付きなのが(笑)。
本編でぐっときてエンドロールのくるりの音楽にやられてクレジット全部見てしまった後、映像に重ねて監督と主役二人が映像にコメントをしゃべるようにできる機能があって、もう一度見てみたら、それがとても馬鹿馬鹿しくて、とてもよかった。映画館のスクリーンで見てたら健康的なエロさをふりまきまくる妻夫木くんや、かわいくないかわいい池脇千鶴ちゃんや、佐内正史ちっくな映像とかが普通にいい、フィクショナルないい映画ってかんじなのだけど、その映像に意味のないようなあるような話がふりまかれるのはさっきまでぐぐっとなっていた心に膝かっくんをされたような気持ちよい肩すかし。そしてそれ故のリアルさ。とか。彼らはジョゼと恒夫くんではなくて、やっぱり妻夫木くんと千鶴ちゃんとして撮影の話とかをしている、でも時々言葉をなくしたりして、映像の中の二人はつかの間の恋人同士で、会って、触れて、別れて行く。そのフェイクゆえのリアルさ。それはもしかして、恋というものの比喩かもしれないですね。なんちゃって。とにかくDVDなのをいいことに何度も何度も見直しました。見直して、出会って/別れる、その課程だけといえばそうなのにその瞬間がきらめいたり、永遠に思われたりすることがあるよねえ、喧嘩してたりもしてても、忘れられない感情とか。と思って、ああ、そういうのって花火みたいだなあ。と思ったのです。花火を見るときのわくわくし加減。ひたむきな思い。その丸ごとの空気感。一瞬のち続く甘い余韻。何度も思い出してしまうかんじ。
何度目かの細見の後、久しぶりに高村光太郎の『智恵子抄』に手をのばしました。なんとなく。そうだ、この朝は早く目が覚めて暇だったのです。それが妙に『ジョゼ〜』と響き合ってよかったのです。全然違うのに。
昔からこの詩集は好きでたしか中学生くらいの頃に買ったものが実家にあると思います。久しぶりにきちんと読んでみるとその頃から好きだった王道的な「僕等」や「樹下の二人」や「レモン哀歌」ももちろんよかったのですがそのほかの情熱的だったり、エロチックだったりする詩、死後の彼女へ向けた詩もエッセイもすべてが智恵子へ向けた、あるいは二人の関係に向けた「愛」にくるまれていました。ああ、愛の詩集なのだ、と改めて思いました。死んだ智恵子が漬けておいた梅酒を月夜に飲む詩も、彼女の体を彫刻にしようとする詩も。それから編者の草野心平の光太郎に関するエッセイもその「愛」に強度を加えていました。そして狂った(という言い方が適当かはここではおいておいて)智恵子が光太郎に恥ずかしそうに見せる切り絵の美しさ。否応ない別れによって断たれた二人の関係は花開いたままその動きをとめてしまった花弁みたいです。光太郎も智恵子も亡い今でもその花は「智恵子抄」の中で美しく咲き続けている。
知人の知人の言だそうですが、恋愛は付き合い始める前後3ヶ月くらいが華なので、その期間を渡り歩いていけば楽しんじゃないかということを聞いたのですが、それって花泥棒だよ!ずるい!とちょっと憤慨しました。私は生花より枯れた花が好きなのです。むしろ咲き始めは花火みたいであってほしい。散ってしまってほしい。それから形なくゆっくり枯れて行ってほしい。花が開くように恋が花開く。ちょっと古くさいメタファーだなあと思うけど、花火だったり、花だったりする恋愛というけったいなものはそれでも私たちの心をとらえてはなさないのはなぜでしょう?人を好きになったり、嫌いになったり、永遠の愛になるタイミングや相性の不可思議さ。
ああ、考えると面白すぎてどんな花火よ?どんな花の咲き具合よ?と、周りの恋人たちが最近観察対象です。つーか、メゾン・ド・ヒミコが楽しみです。(Bonne)
メゾン・ド・ヒミコ http://himiko-movie.com/
後記:これを書いてからしばらくしてメゾン・ド・ヒミコを見ました。コメントはまだうまく整理されてないので言えないのですが、「これは恋愛映画ではなかった」ということと田中泯さんの役を「二人の間に立ちふさがる」という表現をある種適切でない表現と知りつつ書いてみたのですが、見てみたら本当にこの言葉は適切ではなく、「二人の間をいびつにつなげる強烈な点としての役」という表現に訂正しつつ、しかし日記のライブ感を生かすためそのまま掲載します。(2005.9.26)
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