川本三郎 (20050724sun)

 先日、ほんのちょっとでしたが、実家に帰ってきました。目的は二つあって、一つは大好きなミュージシャンのライブを聞くため、もう一つが実家に帰るため。正直に言えば、地元でそのミュージシャンの方のライブがあるために、というのが大前衛で後者をおまけのしたんです。
 ああ、でも言い訳するわけじゃないんですけどね、それだけじゃないですよ。本当に家に、実家に帰りたかったのです。
 家がなくなっちゃうそうなんだそうですよ。うちが。あ、いえ、なくなる、というのは正確でないです。私の育った家がなくなっちゃう。ってことでしょうか。建て替えるんだそうです。リフォームってやつですね。歩いて3分の所に新しい家が建つんだそうで、元の家は貸家になるのだとか。でも古い家だし、雨漏りはするし、傾いてるみたいだし、壊すまでそう長くはないわね。せっかく床暖房にしたりとかしたのに。と電話口で母は言ったのでした。まるでおじいちゃん、ちょっと前から調子によくないみたいだから、覚悟だけはしときなさい、と昔祖父が倒れた時に同じように電話で言ったみたいなさらっとしたかんじで。
 だからもっと厳密に説明すると、わたしは先日実家に帰りました。目的は大好きなミュージシャンの方のライブを聞きにいくためと、もうひとつ、なくなるだろう生家の写真を撮りに行くため、ということになります。
 この建て替えの話を聞いた時に真っ先に写真でも撮らねば。と思いました。それは何よりも真っ先でした。私は小高い丘、というか山をきりぬかれてできたなんちゃって住宅街の中にある塀の高い家で生まれて暮らしました。家は私の生まれる一年前に建ったそうなので、私より一歳先輩の築26年の我が家ということになります。家を出てから、もうしばらくの時間が流れているのでもう私の部屋はないし、自分の荷物もほとんどないです。それでも、玄関までのぼる階段や車がとめてある道路とか、玄関から2階へあがるアプローチとか、そこを抜けて食堂に行くかとか、それらのレイアウトや家具のかんじは自分のなかにすみずみまで残っているのです。失われると聞いて初めてわかる思い出の濃度。あんまり語りすぎても感傷的すぎるかなあと思うのですが、でもやっぱりそれは「わたしのそだったいえ」なのです。語るべき思い出の風景にはまちがいなく、あの家の風景があるのでした。
 それでも風景というのは必ず変わります。あ、最初に出てきたミュージシャンの方の歌にも出てくるのですけど。「この世にかわらぬものはなし〜」です。
 話ちょっとずれますが、旅のお供につれていった本のひとつに川本三郎さんの『東京おもひで草』がありました。川本三郎さんの印象といえば、映画についてなんか書いていたりしてる、とか『東京人』とかで書いているのをよくみるなあ、とかいうものしかなかったのですが、仕事の関係などで読む状況になって読んでみるとかなり膝を打つ記載が多かったです。(人からすすめられたり、必要に迫られて本を読む、という体験もいいものです。)彼は永井荷風が大好きで、そこから東京の東側への愛を本の中で語り続けるのですが東京の東側を愛する私としては、彼の荷風への愛が端を発して、東側(この場合、「東」とは、イーストリバー=隅田川の向こう側のことです)への愛が爆発しながらも、観察することも逃さないのが小気味よかったです(西へ西へと拡散していった「go west」な東京の戦後の開発史を教えてくれたりだとか)。川本氏自身は西側の人なのにもかかわらず、東側の打ち捨てられ感について、永井荷風や小津安二郎、成瀬巳喜男、木村伊兵衛、小林信彦ら「東側」をとらえた著作を交えながら愛を持って語っていく。歩行の重要性について説いているのはおそらく荷風の影響が大きいのだと思うけど、自分の目にした、ものや周辺にあるものについて真摯に描こうとする意思を感じました。
 彼の本を読んでいて思ったのは、「移り変わる風景」という言い方は、実は幻想ではないかということです。移り変わらない風景なんてないのではないかと。私たちが移動せずにはいられないように。移り変わりゆくスピードが早いか遅いか、私たちの歩幅と等しいか、もっと先に先にとなっているかという違いだけがそこにはあるのではないかと。それでもそこにいた人々の記憶は残る。移り変わりながらも。じっとりと。そういう「湿気」。そう、「湿気」は重要なテーマです。イーストリバーサイド(を愛する)の者にとって。そしてそこには間違いなくノスタルジアがあります。泣きたくなるほどに。
 そう、「なくなる生家を写真に収める」というのは、感傷が払っても払ってもまとわりついてくるような作業でした。何度も泣きそうになりながら、(そしてこっそり泣きながら)風景ってなんだろう、と思っていました。今年のお正月に帰郷していたので、以前とそう変わりはないのですが、なんか気がつくと庭に敷かれたウッドデッキの上にはウッディーな机とベンチ、夏は最近、ここで食べてんのよ、と言われたり(そして実際晩ご飯はそこで食べた)、テレビが液晶になってたり、妹のマンガが増えてたりして。東京では全然聞こえなかった蝉が朝からすごい鳴いてる。そんな風になにかが少しずつ移動してたりしても、家の持つカラーは変わらない。冷蔵庫の近くの料理本コーナー、つまり母のコーナー。食器棚の毛色がばらばらな皿やグラス。今は亡き犬が引っ掻いた戸の傷があるお風呂場。階段の急さとか、庭の伸びきった雑草だとか、隣の家の風景だとか、窓から目の前に広がる山・空・山。そして家が疲弊していくのと同じ速度で、父と母は少しずつ、しかし確実に老いを重ねていき、年の離れた妹だけが、健やかに伸びゆく長い人生をプラスの方向に進んでいっている。
 どうしよう、いつかはこれらがなくちゃうのだ。と思うと、ものを捨てられてない私にとっては大変な苦痛でした。言葉にもできない。撮るしかなかったです。ひどく泣けました。まるでもうその場所と決別するような気持ちになるくらい。
 東京は生家のじっとりしたそれに比べるとはるかに軽くしなやかにかわっていきます。特に西側は。あまりにも自分の預かり知らぬところであらゆるものが変わる。だからこそ、「東京」は面白い。変化を他人事にできる。そして時々親しげになれる。「東京」という現象について思いをめぐらすのはとても楽しい。それはきっとたくさんの人が「東京」という場所に身をおいているからだと思います。たくさんの人の無意識が集まる場所。ちょっとオカルティックだけど、「場所」ということを考える時に人の念だとかそこにいたという記憶というのはなんて強いものだろう、と思います。そこを定点として、移動してみたり、時間軸を動かして過去へさかのぼってみたり。
 東京に来て六年あまり。少しずつ思い出もたまってきました。場所に思い出を想起されることも多くなってきました。「東京」についての総合的な情報濃度は私が18年間過ごしてきた場所とその周辺よりももしかすると濃いかもしれないです。しかしまた、私が過ごしてきた刹那的な時間ではなく、滞在といった面からみると、じっとりと家具や配置やら、すべてが記憶の手触りとして思い出せる場所。それが生家というものです。そして「東京」も漠然とした固まりとして見ると「東京」への愛とノスタルジアが同時に浮かび上がってくるのです。
 東京の風景、渋谷の風景、隅田川の向こうの風景、羽田から降り立ってから向かう高速バスからの風景。そして私の家の風景。いつかなくなるもの。かわりゆくもの。そしてそれをなぜ人は留めようとするのだろう。ノスタルジー?よくわからない。でもノスタルジーとは基本的に胸をしめつけられるようにつらく、だからこそ甘美な感情なのです。
 川本さんの本を読んではじめて、永井荷風の随筆を読みました。今住んでいる所も勤めている所も実は荷風にゆかりがあったことに気がついて愕然としているのですが、その随筆の中に「進む時間は一瞬ごとに追憶の甘さを添えて行く」という記述があり、思わず暗記しようとしました。この甘さと苦さを写しとること、書き留めること。それが今一番やりたいことです。
 ああ、また長くなっちゃってごめんなさい。実はこの原稿の一部は東京へ向かう飛行機の中で書いています。(本当に一部だけど)そんなちょっとかっこいいことがやりたくて、今回の旅にはパソコンを同乗させました。なんだかよくわからないけど、離陸する前くらいからびっくりするくらい泣いてしまって自分でも止められない。人の少ない2階席でよかったです。今日のフライトアテンダントの方にはもう二度と会いたくないくらい。明日には台風が上陸するらしく、飛行機がちょっと遅れているらしいです。夜の飛行機というのがわりと好きなのは、着陸の夜景の美しさに惹かれるということです。まっくらな羽田のずっと向こうにはどこまでもキラキラ光る不夜城東京が広がっている。ひしめき合う光のまたたきが、車の流れが見える。さようなら、そしてこんにちは。戻ってきたよ。いたましい日常に。バックトゥーザリアリティ。愛すべき、わたしたちのまち。そしてそだってきたまちにさようならと小声でちょっと前につぶやいたのです。ラヴアワライブズ。ラブノスタルジア。そして、明日もまた私たちは思い出をためながら生きて行くのです。(Bonne)


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