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大竹伸朗(20050626sun)
ブックピックHP一部でも紹介しているように、ブックピックメンバーが参加した本が出ました。私は文章を寄稿したのですが、自分の書いたものが定価をつけられて売られている、という人生初の光景には、実はまだ遭遇していないのですが、想像するに、うれしさが瞬間的に沸点に達して、その次には多分走って逃げたいくらい恥ずかしい気持ちになるのだろうと思いますし、実際手元にある本をめくってみても、他の人の文章を羨ましいと思いこそすれ、自分のページを見るとなんだかやるせない気持ちになります。
本好きを自称していますが、自分の書いたものが本になる、というのは本を愛するという感情からすると格別に変な体験でした。昔たしかいとうせいこうさんの言葉だったと思うのですが、文章を縦に書くのは、日本人ぐらいなもので、その縦書きの文化というものは、日本人の身体感覚に多大な影響を与えているということをおっしゃっていて、なるほど。と思ったことがあるのですが、とりあえず、文章というのは、横と縦というだけでいろんなニュアンスが随分違ってきます。(もちろんそれ以上に文字組やデザインも大きいですが。)私の原稿はパソコンで横書きにうったものを入稿して、縦書きで文字組されたものを見せていただいたのですが、その後、大幅な手直しがあった関係で最終校正を見る間がないまま、本が手元に届いたので、自分のページを開いたときの気持ちというのは、うまくいえないのですが、自分が書いた文なんだけど、字間だとか、文字のつまりぐあいだとか、様々なものが重なり合って、あれー。なんかイメージと違うわ。と困惑したのでした。そして、そのギャップを計算できなかった自分や伝えたかった雰囲気からずれてしまっている文章のつたなさや、自分の力不足を非常に後悔したものでした。
なので、最近のテーマは美文、ということかもしれません。
話が前後するようですが、文頭の本で私は「80年代末期のセゾン文化の本」という内容で書いているのですが、話をもらったときにもう一つ思い浮かんだものが、「二足のわらじ〜画家の文章/作家の絵」というタイトルでした。文章もかけて、絵心のある池波正太郎さんや伊丹十三さん、画家でエッセイの巧みな野見山暁治さんなどの本を紹介しようと思っていた訳なんですが、手先が非常に不器用でまともな地図もかけないような私なんかからすると、絵も描けて、文章もいい(あるいはその逆)なんて、反則だ!と思う訳です。
今、鞄に入りっぱなしになっていてそのせいでなんとなく、反芻するように何度も読んでしまう本が2冊あって、ひとつは明治/昭和の日本画家の鏑木清方さんの『鏑木清方随筆集』(岩波文庫)で、もうひとつが現代の画家大竹伸朗さんの『既にそこにあるもの』(ちくま文庫)です。時代、スタイルこそ違え、ものを描く/作る人の文章というものは、「つくるとは、描くとは、書くとはどういうことか」ということを非常に率直に語る瞬間があったりして、非常にふんどしをしばりあげられる気持ちになります。
つい先日も、日本橋の方のギャラリーでの大竹さんの新作展示を見に行ってきたのですが、でっかいパネルが均等に縦横にびっしり並べられた中に広がるそれぞれの小宇宙にひろがる世界がありました。この人は文章では、すごくはっちゃけた、言葉のグルーブ感なんかものすごいな、といつも思い、作品では断片なんだけど、そのときの記憶のぐんにゃりした手触りとかをほれ、触ってみなよ、と渡された気分になる(そしてそれは、本、という形で広がって行く)のですが、情熱の裏腹な部分で冷静さも併せ持っていて、ううん、これが作品というものなのね。と水辺のギャラリーで思いました。
作品、というものを作り上げた、という経験にとぼしいのです。何かをものすごくやり遂げた、という感情をなるべく作らないようにしてきたし、同時に作れないことに最近とてもイライラします。つまり、ツメが甘い。ワキが甘い。スイートスイートです。きっちりしたつもりでも次の瞬間にしまった!と思う。完成させたくない、終わらせたくない、という気持ちが強すぎて、最初の瞬発力はあるけれど、なんとなく、できあがっていない、というものが私が書く文章にはとても多いです。
今回の本を書くにあたっては、自分の文章が編集者の方、という最初の読者の方に見ていただき、そしてコメントされ、駄目出しされる、という経験がとても面白かった。自分でうーん、ま、甘めだけど、いっか、と思って提出された部分がきっちり指摘される。勉強になりました。そして今、とても勉強したい、作り上げたい気持ちが多いです。
この日記的用語集は、いつもメンバーに「長すぎー(笑/苦笑)」と言われる分量が特徴(はは)ですが書いているのは、書きたい内容が決まったら、30分から1時間の間には書き上げてしまえます。ノンストップです。(ま、だから、間違いも多いのですが、そして「日記的」なのですが。)これは絵におけるクロッキーだと思っています。走り書き。習作。だから次の段階へ。ここから、何か言葉を磨き上げる方法。知人で文章の先生がいる、という表現をされた人がいたのですが、私も今、文章の先生を探しています。そして言葉を彫刻作品のように練り上げ、掘り、
磨きあげたい気持ちでいっぱいです。誰かいい人がいたら紹介してください。 (Bonne)
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