日々の泡(20041226sun)

 寒くなりました。早朝、ベッドが別れ難い光を放ち、夜は思わず早々お布団に包まれうっとりの、怠け者のこの季節。ちゃんと眠ってますか?夢、見てますか?私は最近すごく具体的な夢を見ています。夢の本棚からいくつかお話を紹介しますと、ケーススタディハウスみたいな、開放的で素敵な友人宅(想像)を、健康サンダルで走りまわったときは、起きて脚がすっきりしていたっけ。上司とお客さんを待ってる新品ビルの受付で、蛍光黄色のおかっぱで、肌を紫に塗った目の大きい美少女がいて、あまりに強烈に心ひかれて名刺を探すも出てこない、そのあとエレベーターのドアが開いたら外に出ると、体育館のようなところで彼女がバレエを踊ってくれてた、とか。そうして夢のつづきのとぼけた頭と体で街へ出ると、すごい坂道を子供乗せて走り降りてくる強き母がいて、豆腐やさんはよい匂いをさせて裸で豆腐を仕込み、わたしは徐々に目をさますのです。

  あるいは、ランチに食べたインドカレーのスパイスにやられて、地下鉄をわざと遠回りして眠りこけた後、夜になった街にのぼった瞬間。信号が強烈に光って、坂の向こうに少しだけ残っている夕方の赤を捕まえられそうな怪しげな気分になったり。夢をみた後に見る街では、もしかしたらちょっとありえない出来事がおきている。

 ボリス・ヴィアンの「日々の泡」を読んでいたら、そういう感覚を思い出したのです。作家であるほかに、ジャズトランペット奏者、シャンソン作曲家、発明家、俳優、歌手・・・そんな作者のきらきらしたセンスとリズムのあふれる不思議な物語。初デートはばら色の雲がふたりを包み、不幸がつのると家の廊下が狭く窓は小さくなり、病床の恋人のもとへ急ぐため人をスケート靴でとび蹴りする。みんなに同じに見えるべきいわば物理的な風景に、心の色をつけた表現はわたしは初めて体験するもので、ありえねー!と最初はひいたのだけど、その描写の癖は実はとてもリアルです。小説の中に生きる登場人物の目を通してゆがんだ景色は、幸せという言葉よりもっとハッピーで、「かなしい」といわれるよりもっとかなしくて、言葉遊びと一緒になって、読むわたしのまわりに世界を作りました。かなしいときには空は突き抜けて見えるし、おかしいときは満員電車だって暖かい。目の見る風景と心の見る風景とは境目がなくて、全体でひとつの記憶になります。夢のなかだけじゃなく現実の出来事だって、あるときの感情も、記憶として残っていくことも、すべてゆがんだひとりひとり独特の体験で、ということは、いろんなひと独自のその感じ方をいろいろとのぞいてみたら、きっとすごくおもしろいんだろうなあ、とかつらつらまた空想しながら眠りにつくのでした。(山田)



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