裸で生きたい(041002sat)

女でいることはエネルギーが要るようです。どこへでもTしゃつでオーケイ、ジャージとスニーカーだってセレカジっていってしまえば旬のもの。洋服は大好きだけど、らくちんなのももっと好き。真に受けてだらだらとカジュアルダウンしていきそうな、23歳はたらく女子。なんかおかしい、誰か説得して!とブックピック倉庫で入手したソニア・リキエルのエッセイについて。

自分のルーツ、赤い髪・全身のそばかすといった身体的特徴への愛憎、心をとらえる対象に一体化してしまいたいと思う熱狂、裸を隠すためあたり前の行為であるはずの「服を着る」ことへの意味づけと。時に散文のようになりながら、ソニア・リキエル女史は多弁にイメージを結い上げるため、肉体的実感に基づく言葉を尽くして、自意識過剰で、不条理です。たとえば、編集者やデザイナーなどファッション界には黒しか着ないと決めているひとは多いようなのだけど、彼女もそのひとりで、だけど黒という自分の色への執着にはただの主義を超えたものすごいパワーと信念があります。服を着ることは、服を自分のかたちに従わせること、自らの身体と服との関係にうっとりすること、とごく個人的な感情から出発して、着る/脱がされることへの自覚を通り抜け、男に対するすべての女を後ろに控えているような心持ちになりながら、デザインをし、服をつくる彼女は、個人でありながら女を代表する、不思議な存在に自分を定義しています。神懸りの気分、イタコといったら大袈裟でしょうか。言葉でなにかを伝えることが目的なのではなく、言葉やかたちを捜していること自体に、誰かの恋人の女であり、デザイナーであり、母である多重の存在を統合する鍵をもとめているよう。

ソニア・リキエルといえばニットなのだけど、体に添うあの服たちを思い出して、いかにもフランス女な、あの少し辛いラヴリーさの源泉はこの自意識だったのか、とうなづきました。彼女の濃い女っぷりはちょっと極端だけれど、考え方がものすごく粋で、筋が通っています。一昔前、女のスタイルをつくるとはこういうだったのか!と。数年前のハイファッションの男服・女服の境界の特集で、クリストフ・ルメールが、「女性の下着やドレスはパンクロッカーかドラッグクイーンにしか似合わない」と言っていたのと対照的でおもしろい。

余談ですが女っぷりといえば、天才歌手・小島麻由美嬢。彼女によると、子供なのと、子供らしい部分を持つことは全く別なことなのです。黒いゴシップを抱え込む彼女と大きな苺のショート・ケーキをひとりじめしたい彼女、幼い歌と艶っぽい歌との間には境目がなくて、ただ同じ女が発しているのです。彼女の前では、テレビの中で恋と愛を歌い踊る、スキニーなあの子たちはただの女子、娘っこです。言葉を尽くすのではなく、ただイメージの詰まった心と伝えたい努力と匂い立つような余白と。いずれにせよ女っぷりは、理屈じゃないとこにありそうです。すべてを見とおしているようで、それがその女性独自のめがねを通した世界でしかない、コケティッシュさ。そろそろまわりの女子たちが花盛りのお年頃。日々咲くのを見るのが楽しくうれしい、女ったらしなこの頃です。自分のことは…それどころじゃないんだもの。とか、言い訳しつつ、時に気合入れないと負けてしまうような服に勝負を挑んでみようかしら。(山田)

■me and my monkey on the moon / single collection and unreleased tracks 1995 - 1999
小島麻由美

■裸で生きたい ソニアのファッション哲学
ソニア・リキエル(著)吉原幸子(訳)
1981年 文化出版局

 



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