| オランダモデル(20040711sun)
のっけからあんまりこの日記内容には沿わない話で恐縮ですが今日は選挙でしたね。
別にどこの政党が主流になろうとなんだろうとかまわないというか特に選挙に行ったから今のなんだかすっきりしない流れが良くなるかとかはおもいませんが大事なのはそれについて考えてみることだと思います。まずは気にとめてみること。それからおかしさに気付くこと。
例えば年金、というわけのわからない制度(それは保険制度そのものではなく)とか。あんな、誰もが見えないようなシステム(=デザイン)設計をしていることが問題なのに、誰がどれだけ払わなかったとか払ったとかそういう目先のシステム運用の話しかしていないコメントを見ているとどうして誰もシステムそのものの短所や長所について誰も言及しないのだろう、ちょっと頭悪すぎるんじゃないのかしら、と毒づいてみたくなって口汚く罵ってみたい気分にさせられます。
政治、というきな臭い言葉を思う度にデザインの悪さを思います。それから政治家、と呼ばれる人、官僚、と呼ばれる人々のデザインセンスの欠如を。
前の仕事を辞めて一か月以上が過ぎました。アルバイトだったのですけど、まあ楽しかったような気がするし、何よりもあの場所、あの時間でしか出会えなかったほかの人から見たらなんでもない下っ端仕事を、毎日発見したり興奮したり、退屈がったりしながらものたちやひとたちに出会っていた日々はなんとなく、とても恥ずかしいのですが、きっと大事なものだろう、と一人私は思いつつ、仕事を終える最後の日、たまった荷物を整理して、職場の人たちに挨拶をして、ちょっとしんみりしつつもいつものようにタイムカードに時を押したのでした。
いいえ、そういう感傷にひたりたいわけではないのです。ずぶずぶにおぼれてあわあわしたり、ほろりとしたいわけでなく、ただずっと書こう書こうと思っていながらも、そして「新しい生活」と括弧つきでぴかぴかに彩られた浮き足立ったものを言い訳にして、言葉にすることを怠けていたこと、それをちょっと書き留めておこうというちょっとしたメモ程度のことです。今回は。
ショックだった話をします。新しい働き口が決まってそのことを前の職場の人たちに伝えた時の「ああ、おめでとう、よかったね」というニュアンスの言葉たちの裏に隠された(ように感じられた)なんとなく決まり悪い気分になった微妙な空気感によって、私は「大学卒業後、アルバイト」という私の身分というか社会的地位というものは、予想外に低かったのだな、ということを知りました。実感しました。それはなんとなく、決定的な感じがしました。「就職をしない」と親に打ち明けた時に「お前は人として最低だ」的にののしられようとも、まさに非人的に扱われようと、なんだっていいわ、わかってもらえなくとも。と思っていた私にも、その内部にいて、なんとなくわかってくれてるのでは、と思っていた人たちに線引きされていたことに気付く(正確に言えば、気付かない振りしていたことに露骨にめくられて露になったものを丸見せされたこと)のは結構ヘビーでした。
私は少なくとも、選んでいた、と思っていたのです。働く、という事を考えた時、あの就職活動、というグロテスクなシステムにうまく組み込まれて走り出せる気にならなかったのです。そのシステムが決定的に悪いとは思いません。考えに考え抜かれて作られたものなんでしょうから。それに上手に乗れた人もいます。すごく上手に乗れる人もいるし、がんばって乗り方を覚えれる人もいる。実際としてその結果でとても今の仕事に希望を持って働いている人を知ってます。でも、私はそれに乗れない、と思ったのでした。我が儘なのかもしれないし、甘いのかもしれない。でもやっぱり、あのシステムでどんどん疲れた顔をして、おかしな表情になっていく人たちを横目で見ていて、そしてそのおかしさを卒業してからもなんとなく引きずっている所を見ていると、それに素直に乗って、上手に乗れてもきっとうれしくないと思ったのでした。でも、結局の所、私は社会的な敗者で、「選ばなかった」のではなく、「選ばれなかった」人間だったのでした。そして私は選んだ振りをしていたけれども、結局「選んだ」つもりで、システムとしては「選べていなかった」のでした。
オランダ・モデルという言葉を知ったのはここ半年くらいのことです。オランダ・モデルとは一般的にオランダが90年代に急激に経済的、社会的に回復した制度改革のことを言います。私は一冊程度の本しか読んでいないのですが、それによるとオランダ・モデルはパートタイムとフルタイムの労働時間の差別をなくしたことが決定的だそうです。これにより、働き方の選択が可能になり、ワークシェアリングも増え、雇用が増えたことで経済的に復興された、というのが極めて単純な説明です。
オランダといえば古い所ではチューリップ、新しい所では合法ドラッグ程度のことしか思い浮かばなかったのですが、この「パート・タイム革命」や、議会におけるコンセンサス・モデルの作り方、ドラッグ合法に関する考え方、これらのゆるやかさのもととなった支配するのではなく、利用し、活用するという自然に対するスタンスなど、ああ、そうそう、と思ってこういう実用書の類を読んだのは初めてでした。そして、NPOやワークシェアリングについて調べることから始まってこのオランダ・モデルの存在を知ったとき、日本でワークシェアリングがブームのように(まるでスロー運動みたいに)一気に名前だけ加速的に広まって、全然根付かなかった現状を知って、あーあ、と思ったのでした。
最近、オランダ特集が雑誌などでも組まれていたりして、オランダ=デザイン大国であることも有名ですが、ああいう特集の裏にある、オランダの制度の良さについても言及してほしかったとちょっと思います。デザインとは思考そのものだと言う人がいますが、本当にその通りだと思います。グッドデザインにはグッドアイデアが、思考の過程そのものが塗り込められていると思います。デザインや建築もブームですが、あれらはそのモノそのものを買って所有したりして自分の財力や自己顕示欲を満足させるためではなく、すっきりしたアイデアの作り方をそこから感じ取るために、物を上手に考えるために必要なのです。きっと。良いデザインができる人がたくさんいるところには、良いロジカルシンキングが生まれるのだろうと期待しています。
オランダ・モデルは90年代に作られたシステムですから、現在はいろいろな問題も起こっていて、このやり方が必ずしも正しいとは言えない状況になっているようです。それでも今、日本と言う場所で、オランダモデルについてちょっと考えてみることは有用なんではないかと思います。まるで何も考えないよりはそれについて考えてみる、話し会ってみる、まず出発点はそこからだと思います。
すいません。ちょっと堅い話になってしまって恐縮なんですが、人生の目標が自己矛盾を無くす、ということです。できるだけ、上手に生きていきたいと思っています。人生の風通しをよくする、というデザインを考えるにあたって必要なものを考えていきたいのです。(しかしこれは人生に矛盾がなくなるということではありません)そう、思考のレッスンです。昔の偉い人も言ってたではないですか。人間は考える葦だって。とりあえず考えて、何かやってみること。ものを組み立てるいわゆるデザインにはとことん能力のない私ですが、政治家のみなさまも設計とか勉強したほうがいい気がします。因果と結果の関係を学べそうです。そういう意味でよいデザイナーの人が政治家であり、その逆であってほしいと思いながら、生涯2回目の選挙に行かせていただきました。最初に言ったけれども行った、行かなかったとか、誰が勝った負けたではなくて、これからをどう設計するかってこと。そういうことどうやったら気持ち良く考えられるんだろう、と思って、今日もレッスン続けてます。(Bonne)
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