| 下北沢(20040501sat) 「自分の庭」と言える町がありますか?目を瞑っていても目的地へ辿り着ける、複数の目的を最短ルートでこなすことができる、あるいは数時間の閑をやり過ごせる場所を知っている・・・。わたしが自信をもって「ここなら!」と答えられるのは下北沢と吉祥寺くらいで、その片方の下北沢は、中学生のころからの長い徘徊歴を持っています。世間的には、演劇の町、音楽の町、ごちゃまぜの市場みたいな町、あるいは深く沈んだオトナの酒の町、いろんな定義がされていますが、わたしにとってはなによりごはんの町。おいしいものはここでなら、三日三晩、飽きるくらい食べつづけさせてあげられます。 引っ越してから疎遠になっている下北沢に久しぶりに行く機会があって、おなかがすいていたのでごはんを食べてひとを待つことにしました。ゴールデンウィーク初日の土曜日21時過ぎ、下北沢の駅の階段を下りるともう「遊ぶぞ!」っていう熱気がわんわんしていて、不安事を抱えていたわたしは多少気後れしながらやさしいごはんを食べさせてくれるところを探していました。 「いーはとーぼの爆音に隠れるか?珈琲だけなら最適だけど、ごはん置いてたかしら」とか、「野菜たくさんのフォー?でも今の気分にスパイスは一寸厳しいなあ」とか、「久々だしいかにも下北沢!!!なカフェに行っちゃうか」とか、「もう、駅前のドトールでいいかな」とか、ごはんにまつわる場所を頭の中で長いリストにして逡巡徘徊していたら、こうやっていくつものごはんを食べる場所が思い浮かぶというのは幸せなことだ!と急に思えてきました。これまで下北沢で食べてきた、数年がかりかぞえ切れないごはんとそのシチュエーションが、こうして不安な夜に広げる選択肢になって、いま食べたいごはんをかなえてくれる場所を慎重に選んでいるということが、疲れた気分への処方センになっている気がしたのです。これがまったく知らない町だったら、不安事は増幅していたんでしょうか。それとも糸が切れた感じ、行き当たりばったりのごはんの冒険を楽しく思えたのでしょうか。それはちょっとわからないけれど。 結局、西口のヒッピーチックな店で、じゃこと野菜のかき揚げ、大根・人参・蒟蒻の煮たの、春雨サラダ、玄米のごはん、麩のお味噌汁、というごく普通の玄米定食を食べました。人を待ちつつ、「世田谷の空は狭くなんかないよなあ」とか、頭の中に流れる音楽に反論しながら、ひとりで遅い夕ごはんをゆっくりゆっくり食べていたらすっかり落ち着きました。そうこうしているうちにお店には演劇か何かのはねた人々が続々集まって、夜通しの打ち上げの雰囲気。 満足なごはんを食べられる町って、庭というかそれ自体家みたいなものだと思います。町自体まで自分の家と考えてみたら?と言ったのは寺山修司でしたっけ。仕事を始めて、学生のときよりかはお金を持つようになってから、なんだか逆のようですが、物理的な所有の意味ってどんどん小さくなっていくような気がしています。自分の持ち物/テリトリーで自分を縛るのでなく、いっそ何も持たずに全てを所有することができるのかもしれない、と思います。そんな格好いい事言っても、日々あれが欲しい、これが欲しい、で持ち物は増えていくのですが。ただ、今のところわたしはおばあちゃんになっても町に住んでいたい。気分で町を使い分けながら、自分のエネルギーを源に身軽に生活しているなんて、そんなおばあちゃんが理想です。(山田)
※追記(20040512)
そんな下北沢ですが、最近、大きな道路が通る都市計画案が、ネット上で話題になっています。ぼくも山田さん同様、いまの下北沢の街がとても好きです。この問題に多くの方々の関心が集まればと思います。(内沼)
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THE 下北沢 http://www.setagaya.st/shimokitazawa/ 陸這記(中俣暁生さん) http://d.hatena.ne.jp/solar/20040506
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