| 日和下駄(20040403sat) 愛する世田谷を離れ親元を離れ、文京区小石川に住み始めて3週間。あたらしい家の近くには桜で有名な坂があります。それはそれは見事な桜っぷりで、坂の真ん中には花見のために作られたような遊歩道/公園があります。それでわたしはちょっとだけ遠回りして、この坂を歩いて降りて帰るようになったのですが、いつもはほとんど人気のないこのだだっぴろい坂が、夜がふけてもおでんの屋台で酒を呑む人々や、吹き溜まった花びらをすくいあげては「ハナフブキッ!」と言って撒き散らす子供たちとマンションの入り口でそれを見守りつつおしゃべりに興じるママたちで、幸福な空気に満ちています。恐るべし、桜効果。余談ですがわたしは部屋からも見えるこの高層マンションを、「温泉旅館」だと思うようにしています。特におおきな車寄せを見るとその印象は強くなって、そうすると非日常の感じ、『城之崎にて』の気分が味わえます。 江戸から明治にだんだんとうつりゆく東京を歩いた永井荷風も、『日和下駄』というエッセイのなかで坂について言及しています。日和下駄は、街歩きを見るべき要素に分類して書き綴った、ごく私観東京論、といったもので、例えば閑地、路地、寺、淫祠などのトピックがあります。なかには、夕陽、なんてロマンチックな項もあります。大学の民俗学の講義では、これをなぞって神保町〜御茶ノ水〜神田〜湯島の坂めぐりをさせられました。「東京の坂の中にはまた坂と坂とが谷をなす窪地を間にして向かい合わせに突っ立っているところがある。」とあれば、まったくそのとおりの神田清水坂で大興奮したりして、写真をとり特徴をメモし、プレゼンテイションするという酔狂な企画でした。特に神田界隈は本当に坂が多くて、のぼりくだりに息を切らしながら、そのでこぼこの作る陽と陰の風景、特に湯島なんて花街の空気が今も残っているような陰の雰囲気に、くらくらとしました。なつかしいな、と今読み返してみたら、「地勢が切迫して坂と坂との差し向かいが急激に接近していれば、景色はいよいよ面白く、市中に偶然温泉場の街が出来たのかと思わせるようなところさえある」と、荷風も言っているじゃないですか!他にもこんな心持になる場所はいくつか知っている気がします。市中温泉論。いかがですか、覚えはありませんか? さて新・地元の坂はどんな坂かというと、ゆるやかにカーブしています。ですから歩くその少し先が見えず、桜の壁があるような、あるいは桜の雲に突進していくような心持ちになるのです。例えば坂ではないですが、同じくらいの道路幅・歩道整備ぐあいの国立の大学通りは桜と銀杏が交互に植わって春/桜、夏/緑、秋/銀杏、冬/イルミネイションと年中楽しめる大きな通りで、だいぶ離れたところからでも直線状に国立駅の三角や根が見えます。かつて滑走路として作られたというこの通りの潔い風景。それもまたよいのですが、まっすぐの坂はちょっと色気がないような気がします。どうせたらたらと登り坂、足をゆるめて歩くのだから、ぴりっと見通しが効いているよりはちょっと先すら見えなくて、景色がどんどん変わっていく、そんなめくるめく感じがステキです。そう、わたしが荷風にひとつ加えるなら、坂は蛇行すべし、とお願いしたいな。(山田)
用語集トップ/あ/か/さ/た/な/は/ま/や/ら/わ |