スーザン・チャンチオロ/バーナーブロス(20040314sun)

 最近、火がついたように手芸熱が発火作用を及ぼしていて、いい汗かいています。嘘です。もんもんとしてます。何かつくりたくて。最近。つまり、何かこまごましたものをいとおしく、手の中で転がしたいみたいと思っているらしいです。

 などとさも、自分が手芸が得意な顔をして、発熱したポーズをとっているのですが、根が不器用っすから、とむしろ不器量なかんじでうっかり自分を吐露しそうになる位、実は本当に不器用で、手芸を今まで完走できた記憶がありません。それをどの面さげて手芸などということに興味を持つかな。と、自分で自分をつっこんであげたい気分になるのですが、そんなものにも負けずに鼻息を荒くするきっかけはおそらく先日行ったスーザン・チャンチオロとバーナー・ブロスの展覧会にありそうです。

 ファンション・デザイナーとしてのチャンチオロは林央子さんの発行する雑誌「Here and There」や資生堂の「花椿」に載っているような場所でしか知らなかったし、よくも悪くもビジネス、という場所に立たざるをえないファッションの分野から降りて、よりアーティスティックな方向へと向かった彼女の作品を実物で見たことはありませんでした。でもすごくよいのだろうということは、いろんな周りの空気とかからわかっていたので、日曜の渋谷の喧噪をく
ぐって、小高い丘の上のファッション・ビルに登ると、ああ、やられた。と思って腰からくだけそうになりました。

 彼女の作るものは、もはや服ではなかったのでした。思考だったのでした。それも断片的に。切り取られて、張り合わされて、ほかのものになる。コラージュです。鮮やかな、思考のコラージュ、思い出のコラージュ。それが服のカタチになっていたり、なっていなかったりする。すごく個人的なのです。きらめいて消えてしまう。花火みたいに。

 最初「!」としてそれから、「!!」としました。わくわくして、ああ、私もこんなんやりたかったのよ。と思って。でもだんだん彼女の手から放されたその断片を見ていて本当にせつなくなってしまいました。というより胸が苦しくなりました。かきむしられるみたいに。気が狂いそうに。恋の始まりみたいに。

 ほとんど泣きそうになって、その混乱をひきずったまま、表参道方面に歩いて、ナディフヘ。装丁やデザインで有名な立花文穂さんとそのお兄さんの英久さんが兄弟で作ったブック・レーベルであるバーナーブロスが作った本『画家』(青幻舎)の刊行記念の展覧会でした。刊行された本は、戦後の画家、濱坂銕也が残したアトリエを撮った写真たちが並んでいて、ナディフのギャラリーには彼の部屋を再現したインスタレーションがありました。せつない音楽が流れていました。そしてここでもやっぱり苦しくなりました。苦しくて、とても素敵なものたちを眺められてとてもうれしいのに、悲しい。微妙な感情でした。一番適切なのは、「混乱」ということでしょうか。

 その時の私の中のぐるぐる状況を言葉にすると以下のようです。
 
 ああ、どうしよう、これらは手に入らない。見ても見ても、目に穴が空く。欲しくなってもそれを手にとった所で私のものには永遠にならない、だってあれは展示してあるのに彼等のものだもん。

 つまり、欲張りなんです。欲しがりなんですよね。私。すぐ欲しくなるんです。見ちゃったら欲しくなる、見たら、持っちゃったと思っちゃう。

 手芸の基本は作ること。それも自分の手で。小さく、不器用な、震える線を糸で描いて、あるいは紙をやぶって、張り合わせること。私の手で。ものをつくるというのはそういうことだと思います。言葉。言葉もそうなんですけど。でも今はもっと色彩が見えるようなものに惹かれるのです。目に見える色彩。赤とか、青、とかではなく、目の前にある色そのものを手にすること。それから、やぶったり、くっつけたり、張り合わせたり、どこかから持って来たりしたい。そういう気持ちです。

 私は手芸を満ち足りた気分で完成した記憶がありません。それはどこかで、手芸を完璧にやりとげなければならない、物事を完成させられなければならない、という妙な脅迫観念があったのかもしれないです。

 私がいま、手芸によってやりたいことはそれではないのです。まっすぐな線ではない、とてちてた、という言葉がにあう、不器用な動き。ぎこちない、不完全に、あえぐようなもの。

 チャンチオロの会場でも、ナディフでも彼等の本を買おうとして思いとどまりました。
 
 欲しいものはそれではない、と思いました。本が大好きなのに、手に入れても遠くなるからいらない、と思ったのははじめてでした。

 それよりも、作りたい、と思いました。何かを。
 
 バーナーブロスが以前につくった限定本『クララ洋裁点』も今は入手ができないそうです。素敵な本だということはそこここから聞きます。でも手にしたくない気がする。その本を手に入れるかわりにコラージュしようと思います。 苦しみの正体をはっきりつかめないまま、後日、書店で漫画家の岡崎京子さんの文章を集めた本のタイトルを見て、ああ、この苦しみはこれだった、とすとんと思いました。平凡社から出たその本のタイトルは『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』。

 ニンゲンは忘却の生き物です。忘れること。死んでしまうこと。なくなること。それは避けられない性みたいなこと。でもそれに逆らうようにこうやって書いたり、作ったりします。チャンチオロもバーナーブロスの作品は結局「彼等」のものでした。ならば、「私のもの」もつくらなくては、と思いました。忘れないために。生きてゆくために。(Bonne)


 

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