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白百合クラブ(20040201sun)
毎年、年のはじめには目標をたてることにしてます。別に書き初めなどはいたしませんが、今年はこういうことしたいなあ、とかまあ、新年ですから。新しい気持ちになっちゃったりするわけです。野望的なものから小さなものまで。ふつふつと思ったりするわけです。で、叶わなかったり、挫折したり、目標にしたことを忘れたりして、一年の終わりに後悔したりするんです。(叶った目標は忘れます。)今年もさて、目標、と思ってた時に思い立ちました。そう、後悔したことを。タイムマシーンがあったら。と2004年2月の頭にいる現在の私は画策しました。贅沢は言いません。燃費は軽く。戻るのは去年で結構。そして去年の今頃の私にはこういいたいわけです。「あんた、今年マメなオンナになる、とか吹聴してないで、映画のスケジュールに敏感でいなさいよ」と。
去年は本当に映画を見逃したー。と思った年でした。そんなに見ません。ほんの、年に両手であまるくらいの本数です。別に映画に造詣がふかいわけでも、うんちくたれたいわけでもないです。ただ、あ、面白そう、見たいな。と思っていた映画をことごとく見忘れたり、気がついたらほかの映画が始まっていたりしたことがあまりにも多かったのが去年でした。そして今ごろはちょうどそれらの映画がレンタルビデオ店に並ぶ頃で、ああ、よかった、今度こそ。と思っている昨今なわけです。
そのうちの一つ、「白百合クラブ 東京へ行く」を見ました。DVDで。白百合クラブは終戦直後の結成から今なお続いている沖縄の踊りと楽器の音楽バンドで、そのから沖縄のブエナビスタとも呼ばれています。「ナビィの恋」「ホテルハイビスカス」といった沖縄を舞台にした映画を撮り続ける中江裕司監督が彼等に惚れ込んで作ったドキュメンタリーです。
私はこの映画の価値を老人の音楽である、から素晴らしいとは結論づけたくありません。ほかにも老人がやる音楽で思い浮かぶのは、イタリアの作曲家のヴェルディが晩年に作った音楽家たちのための老人ホーム「憩いの家」だとか白百合クラブに照らされる、キューバのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブがあってそれらはは確かに素晴らしい。美しく、セクシーで、キュートです。みんな。でも彼等がすばらしいのではないと思います。偉いのはむしろ、その風土感です。多分、こんなことが起こるところにはきっと、どこそこにも音楽があふれているのだろうな、と思わせられるのです。
その意味でブエナ・ビスタはある意味でキューバのイコンであるし、白百合クラブもまたそうかもしれません。昔、石垣島に旅行に行った時に泊まったユースホテル(普通の民家でホストの方は踊りの先生のおばあだったように記憶してます)でなぜかおかしな仮面をつけて踊らされたのを思い出しました。あるいはキューバではありませんでしたが、メキシコで楽団の演奏の後ろについて町中を練り歩いたり、教会でちょっと下手くそなオルガンとか歌とかをじっと聞いていたことを思い出します。
音楽はほかのメディアに比べて、節操のない所があります。そしてそれがとても素晴らしい。流れて、流れて、歓びの中を流れていくと、気が着くと思わぬ所にいられる。
彼等と同じようなメンタリティをダブル・フェイマスとクレイジーケンバンドにも感じます。前者はいまでこそ、大人気で、リトルクリーチャーズの青柳拓児さんだとか、畠山美由紀さんだとかが参加している陽気な音楽を奏でて、ひたすら踊れるバンドですが、この結成のきっかけは、プロになろう!というメジャー指向と呼ばれる鼻息ものではなくて、音楽好きの人たちがなんとなく毎週集まって、練習をしつづけた結果だと聞いています。今、青柳さんや畠山さんはプロとなりましたが、いまだに、職業がほかのものについている人たちもたくさんいるのです。そして今プロの彼等も昔はアマチュア(というかインディーズ)だったのです。ただ、日々を積み重ねた結果、今のような状況を作り出しているわけです。愛すべきヨコハマを映し出すような、でもちょっとせつない音楽をつくる後者も同じです。ウ゛ォーカルのケンさんはプロですが、ほかの人たちはもともと横浜で別の職を持っている人だと聞いています。このようにプロとアマが一緒にやれて、しかもいいバランスでやれているっていうのが本当に素晴らしいと思うのです。
これらの音楽を聞くたびに、気持ちはうれしいのですが、ぐるぐる思います。プロとアマチュア。の違いってなんでしょう。もうけるってなんでしょう。音楽は奏でられる。聞くこともできるけど、体をゆらすことも、手を叩くことも、歌うことすら。全部音楽で、そして歓びです。まさに、某レコード店のコピーよろしく生きることが歓び=音楽でないと日々は本当につまらない。そして音楽は、誰のためにあるかというと私のためにあるんです。自分のための音楽が必要です。自分の歓びを見つけることです。
で、手前味噌なんですが、ニギリズムとこれらをつなぎたいわけです。このコラムにもニギリズムというワードは頻出してまして、私もニギリズム構成員だったりするのですが、ニギリズムはプロフェッショナルなお料理チームでもなんでもなく、学生や元学生や社会人やらが平日の夜や週末に集まってあーでもないこーでもない、と話し合ってメニューを決め、アイディアをあれこれ出し合って、ブラッシュアップして、わいわいニギッておよばれした所に行くのです。そこには、アーティストはいません。料理人もいません。ただ、料理と人と出会うことや、ちょっと奇抜なことをやってみたい好奇心のある人々と気持ちがあります。
そして何よりも素晴らしいのは、こんなふうにそう思っているのはきっと私だけ(まあにたような気持ちはきっとあると思うのですが)で、私以外のニギリストたちには、それぞれの人生があって、それぞれの言葉を持って、ニギリズムを語るでしょう。皆それぞれのニギリズムに対する全体像とか、考え方とか、スタンスとかがあって、でも一緒になにかをやっている。それです。その気持ち悪くない一体感。
サスティナビリティとは「持続可能性」と訳されますが私は「なんとかやってけてる」と解釈してます。ニギリズムも、上記にあげた音楽たちもそういうもの。少なくとも私にとっては。音楽と料理はにています。多分、とても近い所で。奏でましょ。おいしい音楽と楽しいお料理を。あなたともできれば、一緒に奏でたい。ジャムセッションみたいなものです。今度、ニギリズムワークショップをする予定があります。是非参加してほしい。もちろん、食べてもおいしいワークショップ。でも来てみてください。そして聞きたいのです。あなたの歓びなんですか?と。直球じゃなく。会話のはしばしから。オハナシしましょう。おニギリと音楽で。(Bonne)
白百合クラブ■http://www.shirous.com/shirayuri/
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