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小鳥たちのために(20040118sun)
「ぼくの小鳥ちゃん」という、「マイ・ディア」「ハニー」と並ぶ恋人たちのスイートワードは日本製なんでしょうか。
同じ動物ネタの「僕の子猫ちゃん」は、「マイ・プッシー・キャット」という金の鎖の似合うあの方の歌にもあるように舶来モノみたいですが、「マイリルバード」というのは、鳥のきょろきょろ動く瞳や足の形などが思い起こされてあまりよい印象をいだかない気もします。ともあれ、別に鳥の話をしたいわけではなく。この場合の小鳥とは、私たちのことです。
あなたに神はいますか?といきなり話変わってドープな質問を浴びせてみたりしますが、私のささやかな趣味の一つに俺クエスチョンというのがありまして、これは自分自身に質問し、自分で答えるもので一般的には自省などと呼ばれもする代物ですが、歩いているときや電車の中での考え事等の時間つぶしにうってつけのものです。これは、時折反芻しては確認する、左右安全確認的な存在の1クエスチョンです。そしてきっとおそらく今後誰にも聞かれることもないだろうこの答えを暴露しておくと、私にとっての神、といわないまでも、人生の師というかグルはジョン・ケージです。
ジョン・ケージとは、言わずと知れた20世紀が誇るアバンギャルド音楽家で、ピアニストがピアノを弾かない作品(4分33秒)やピアノにモノをはさんだプリペアード・ピアノによる作品によって、あまりにも有名。「現代音楽」というジャンルの中のキングの座にめしましていると言ってもいいですが、彼の音楽を実はそれほど熱心に聞いてないです。もちろん、プリペアード・ピアノ曲や絵画にも似た美しい視覚作品としての図形楽譜も、初期のダンスのための打楽器作品もそれなりに好きです。実は大学でケージについて研究しようと思ったこともあったのですが、あるとき、「彼は私にとって指針みたいなものだ。彼について分析して、論考するのは無理!(ロジック的にも)」ということに気がついて、ケージの影響を強く受けたフルクサスについて研究することにしたのですが、それはまた別の話。
タイトルの「小鳥たちのために」は、くだんのケージとフランス人の音楽学者のダニエル・シャルル(息子さんが電子音楽とかの分野で活躍してますね)との対談を収めた本で、青土社から邦訳が出ています。このタイトルの「小鳥たち」とは、ケージの名前が英語でも仏語でも「鳥かご」を表すことから名付けられたそうで、このタイトルはケージ自身も本の中で褒めていますが、非常に好いタイトルだと思います。
この本でふたりは様々な話題をめぐって話します。基本的にシャルルさんがインタビュアーです。ケージ自身が書いた「サイレンス」や「イヤー・フロム・マンデー」といった著作がほとんど哲学書類の如く難しいのに比べて、対話によるこの本はわりかしコンパクトに刺激にあふれていてとてもお勧めです。
世間にはいろいろな鳥かごが存在していて、ある人はそれを社会と呼んだり、監獄と呼んだり、階級と呼んだりして、大抵の場合、閉塞感を伴うものとしてマイナスにとらえ、批判します。あるいは、そのかごの中で箱庭的世界観を構築して、そこに台数をあてはめて、公式化させようとします。
しかしケージの鳥かごは入った途端に、外に出ていることに気がつく、というような代物です。しかもその外の世界は少しだけ、色鮮やかに、変化している形で見えるのです。いつまでも終わりのない内部。むしろ内部こそが外部への入り口そのものというちょっとブッディズムですね。
「ケージは彼が愛したキノコに似ている」と言ったのは浅田彰だったと思いますが、ケージは行く場所行く場所に菌を置いて、キノコを生やしました。バウハウスの潮流を組むアメリカの学校「ブラック・マウンテン・カレッジ」でのカニングハム、フラー、ラウシェンバーグといったそうそうたるメンバーでのコラボレーションによるパフォーマンスや、大学での教育活動はもちろんのこと、演奏旅行で訪れたヨーロッパ旅行でも、フランスのブーレーズもシュトックハウゼンもナム・ジュン・パイクも彼のキノコをどこかにはやしたのです。
こうやって世界にやわらかく溶けながら、様々な場所で息づいてゆくケージですが、彼の「鳥かご」は、透明にキラキラ光る光の線が編まれたもの。のように思えます。
哲学というとまたちょっとそれてしまうものがあるのですが、彼にははいろいろな抜け道があるのです。いろんな場所に行ける小道が。ソローに抜ける小道、サティに抜ける小道、マクルーハンに、ジョイスに、フラーに。彼というポイントを介して、あらゆる場所にいけます。音楽の歓びという小道も。聴くことの歓びという小道も。
神とかいうぐらいですから、教えがなくてはなりませんが、ケージの教えは、「信じることを信じるな」ということと、「世界を笑い尽くそう」ということだと受け取っています。
ケージの笑顔が思い浮かばない人は、ちょっと探してみてください。彼の笑顔はどんなに絶望しているときでも「ああもう、駄目だー(笑)」といってあきらめてしまえる明るいおしまい感にあふれてます。思考がストップするんです。もーいいや。ケージ大笑いだし。っていう。楽観的なあきらめと絶対的な肯定。
げらげら笑うケージの手のひらで、小鳥となった私たちは、キノコにもなれるのかもしれません。信じないこと、それが出発点です。しかも疑心暗鬼といったダークなトーンにではなく、彼の生まれ育った西海岸の光みたいな笑顔でピーチクパーチクさえずりながらということが大切。(Bonne)
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