我修院達也(20031207sun)

 師走の日曜日。横浜美術館の「中平卓馬/原点復帰」展の最終日に行ってきました。本当はホンマタカシ監督による中平さんのドキュメンタリーが目当てだったのですが間に合わず。桜木町駅前の街頭UFO写真展(死ぬほど怪しそうかつ魅力的だった)やら大道芸やらを横目にごった返すみなとみらいの冬の夕暮れをくぐりぬけて、どうやら初めての横浜美術館だったようです。

 中平卓馬といえば、さんざん特集やら紹介やらされていたのでご存知の方も多いかと思いますが、雑誌編集者から写真家になった人で、多木浩二、森山大道らとともに(現在、「伝説の写真誌」の名をほしいままにする)「プロヴォーグ」に参加し、60年代から70年代にプレ・ボケ・アレと呼ばれるざらざらした質感の手法で非常に男くさい写真を撮り、旺盛な批評活動とともに写真ということに向き合っていたのですが、77年に突然の病に倒れて記憶喪失になった後、それまでの前衛的、実験的写真の手法と異なった、非常にまっすぐで作意のない、まったくもってフツーの風景を取り込んだ「そのまま」としかいいようのない写真を(主に)カラーで撮り、そして今もなお撮り続けている人です。

 会場は現在の彼の作品から初期に戻っていくように構成されていて、名づけえぬ写真というか記憶の断片みたいなものがこびりついているような写真郡が莫大に展示されていました。作品については記憶喪失前と後でその手法がガラリと変わったという点では異なるけれども、根底にある「写真とは何か」という極めて真摯な問いに対しては一貫した答えを持ってるんじゃないかなあ。とか、写真とは、イメージとはなんぞ?などということについても思いをめぐらせ悶々としながらも脳の別の場所では私の頭の中にあったのは、中平さんを飛び越えて、元若人あきら、現我修院達也さんのことでした。

 何かが起こって人生ががらりと変わってしまう、ということはいろいろあるにせよやっぱりドラマチックなのは「記憶喪失」とか「事故」とかいう偶発的で逃れがたいもの、それらによって人生が分断されてしまう人というのは確かにいて、それは他人の目でしか見ていないから本当に大変なことだとは思いますが、ほとんど非人道的な視点で見るとその事故前と後の生き方とかを思うと興味深いです。この二人に北野武さんを加えれば私の中の人生真っ二つトリオは完成しますが、人生がばっさりしてしまう感覚とはどうなんでしょうか。生まれ直す、ということにも似ているのかもしれません。

 結構昔の映画になってしまいましたが、石井克人監督による映画「鮫肌男と桃尻女」での殺し屋役で、若人あきら時代の「郷ひろみのものまねタレント」としてのキャラから「個性派俳優」としての「もうひとつの」人生をはじめた我修院さん。一度見たら忘れられないあのフェイス(特に眉周辺)と声。そして私生活がまるっきり想像できない点においてやっぱり画面に現れると見ちゃいますよね。今のクールのドラマ(月9!)にも出演していて、なんとなく異次元のようです。彼が出ると。

 私は我修院さんの若人あきら時代の郷ヒロミものまねは拝聴したことがなく、ただし想像(妄想)の世界で彼のミラクルボイスで「ゴウデース」と言わせてみては一人ほくそえんでみたりしますが彼がまた郷ヒロミものまねをする日はやってこないのでしょうか。ちょっと見たい気がする。ドラマの中でなぜかものまね。分断された世界がおかしな具合で混在する時を見てみたいです。そのとき失われた時間は何かを取り戻したりするんんでしょうか?そしてそれが郷ヒロミだという点もまたすごいこと。ですがきっと取り戻さないんでしょう。人生はそんなに高低なく平坦に進んでるものですよね。

 余談ですが知人が新宿で偶然我修院さんに握手かサインかしてもらったらしい。すごいうらやましいっす。(Bonne)