20031103(mon)死者の日

 10月の終わりも近づくと日本、しかも東京の流行に敏感でなんだってブームにしちゃえばオゲーな雰囲気の世間はとってつけたようにオレンジと黒に染まりますが、私はいつもこの時期メキシコを思います。11月2日と3日はちょうど、メキシコのハロウィン、「死者の日」なんです。

 死者の日というのはかぼちゃと魔女とトリックオアトリートの純アメリカ式とはちょっと違っていてどちらかというと日本のお盆に近いお祭りです。この時期になるとメキシコではご先祖様が帰ってくるのを祝うための砂糖菓子やらでつくった骸骨が町中にあふれ、そしてお墓にろうそくをともしてご馳走を持ち寄って一晩中お祭り騒ぎするんです。この、お墓でどんちゃん騒ぎして死者を弔うという風習はなぜだか沖縄にも似たようなものがあって、(骸骨は出ないけれど)その死に対するおおらかさというか肯定的な態度は南というものになにか関係があるのかな、と常々疑っているのですが、さて、そんな享楽的で不条理ででも明るい世界の反対側で4連休の中日の私の日常はまるでゴムみたいにのびきってました。びよんびよんです。

 目が覚めたらもはやちょっと気を許せば夕方、という時間。ああ、今日もまた無駄にしちゃったわ、という背徳感の入り交じったなんともいえない眠たさ。 この連休中にやろうと思っていたいくつかの計画はほとんど実行されていません。すべては脳みそが溶けそうな退屈感を伴った休日感にスポンジみたいに吸収されてしまいまいした。別に眠たくないけれど眠るという甘美な退屈。実行されない予定。果たされない約束。未定のものはいつだって素敵に退屈です。

 この平担で終わりないような時間が伸びきったままで日が暮れた頃、出かけました。夜の六本木です。かといって特に新しく生まれ変わった街を堪能するでも夜の甲高い嬌声まじりの世界を楽しむわけでもないです。そういう風景は背景でした。ただの惰性で出かけたんです。眠った分を取り戻すみたいに。

 まるでそういう人たちしかいない、という風情のファーストフードの最上階はクラブ(上あがりの読み方も下さがり読み方アクセント両方)へ繰り出すための時間つぶしの人たちが入れ替わり立ち代わり入っては出ていきます。持ち込んだパソコンで考え事とかインターネットをしながらその上向きの風景を眺めながら、退屈感は麻酔みたいに、雨の湿気みたいにしみこみながら、東京のグロテスクさを思います。

 退屈でうんざりで愛すべき熟れすぎて花弁(があるとすれば一体そこはどこでしょうね。)を覆ってしまったようなこの街を舌打ちまじりにいとおしみながら気が付くと体はすっかり体中煙草のにおいの染み付いています。躁的に明るい照明の店を後にして、やっぱり休日のわくわく感がにじむ地下鉄の駅を抜けると真っ黒い空に薄目を開けたみたいな月。この形は反対側の国でも同じ形で見えるんでしたっけ?墓場で笑うしゃれこうべの上に輝く月はどんな形でしょう。メキシコと夜の六本木の嬌声。どちらもまるでまるで遠くのどこかのお話みたいでなかなかよいノスタルジーの気分じゃないでしょうかね。休日はいつだって寂しいものです。それは日曜の夜に、明日を思うとせつなくなる、というサザエさん症候群のブルースにも似て。(Bonne)

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