第1回:全国の家庭のみなさん!
渋谷bunkamuraにてオードリー・ヘップバーン展を観てきました。「プーさんのハニー・ハント」ばりの行列をチョビチョビ進みながら人々が漏らすのは「かわいいなあ」の一点張りで、まるでその「かわいいなあ」を言うためだけにこうして東京中からひとが集まってきているのではないかという錯覚を起こさせるほどなのですが、これほど「こうとしか言いようがない」と言わんばかりなため息まじりの「かわいいなあ」を、万人に言わせることは並大抵のことではありません。
戦前から主に百科事典を出版し、日本中の家庭に普及させていった平凡社。その平凡社が『太陽』を創刊するにあたって「知識の普及」の次に挑んだのは、この「ため息の共有」のようなものだったのでしょう。谷川健一編集長による「創刊のことば」には、こうあります。
全国の家庭のみなさん!どの家庭にも、ひとつの太陽が要るように、ひとつの雑誌が要ります。その雑誌こそ、今月から欠かさずみなさんの家庭にお届けする「太陽」です。(中略)全国の家庭のみなさん!雑誌太陽は、「きりのない百科事典」であると同時に、「目で見る詩華集」でもあります。雑誌太陽は、創刊号につづく第2号、第3号と巻を追い月を重ねるごとに、比類のない美しさで、みなさんを圧倒し魅了することをお約束します。わたしどもは、知識の太陽系を創造しようという野心にそって、もっとも厳密な計算をたてているからです。(後略)
百科事典の出版社としての、次のステップ。それは雑誌という形でその知識を常に更新していくと同時に、「比類のない美しさ」をもってして、ため息まじりの「すばらしいなあ」を万人に共有させることでした。そして季節は梅雨にさしかかろうとしていた1963年6月、創刊号に持ってきた特集は「エスキモー」。極北の地に寒々しく昇る太陽、果てしなくのびやかに広がる雪原、そしてその地で強いられる想像を絶する厳しい生活。40年以上経った今でも臨場感を失わない写真の数々は、ほんとうに「すばらしいなあ」なのです。
ページをめくっていくと、その特派員のカメラマンとのタイアップによるペンタックスの広告、そして平凡社自社の地球儀の広告、果てには「エスキモーのボクちゃん」という新しいキャラクターを掲げた富士銀行の広告。そして「ツンドラタイムズ」と銘打った新聞を模したコラムページがつづき、特集は終了。さぞかし取材にお金がかかっていたのでしょう。
「五人の椅子」というコラムページを挟み、特筆すべきは石井好子がホステスを努める連載「○月のサロン」。創刊号の「子のしつけ親のしつけ」のメンバーは薫敏郎(当時34)、加藤芳郎(当時38)、三島由紀夫(当時38)、谷川俊太郎(当時31)。「谷川:でも、石井さんが『アビニヨンの橋で』を歌っているでしょう。うちの子はあれが好きで、あればかり聞いてる。」この「うちの子」というのは、当時3歳(!)の谷川賢作。つい先日、立教大学で行われた谷川俊太郎/谷川賢作のライブを観に行ったことを思い出して、ちょっと大げさかもしれないけれど、これこそがまさに古本が時を超える瞬間だ、と思ってしまいました。
その他飯島耕一による「ミロの版画」や福沢一郎/土門拳/芹沢長介による「日本人はどこから来たか」なども気になりますが、もう一つだけ挙げるとすれば「ぼくだって話すことができる」「ヨーデルが呼ぶアルプスの谷間」の2つのルポページが、あのマグナムによるものだということでしょう。言わずと知れたシーモア/キャパ/ブレッソンによって創設された写真集団で、前者はゲバラの写真等で有名なルネ・ブリ、後者はピカソの写真等で有名なブライアン・ブレークが担当。「比類のない美しさ」を謳う『太陽』創刊号のなかでも、ひときわ生き生きとしています。
オードリーが翌年に完成する「マイ・フェア・レディ」の撮影中だった頃(多分)、こうして『太陽』は「全国の家庭のみなさん!」と叫び、創刊されたのでした。このコーナーでは今後もこの偉大な雑誌を、こうして1冊ずつ紹介していきます。もちろん、買えます。どうぞお付き合いください。(内沼) |