第2回 神田響子さん(右)+石田瑞穂さん(左)((f)orpoets
「ポエティック、すなわち詩的ということは、映画の中にも音楽の中にも、みんながふつうのものとして感じとっている感覚なんです。」
(f)orpoets #4 /(f)orpoets編集部/20041260(新品)
多和田葉子「封筒にくつろぐ五枚の八十円切手」、レナタ・ルーチチ「文字食い切手」、ニコライ・コーノノフ/たなかあきみつ訳(アムールは足をぴくぴく動かし始める・・・)、志賀康・俳句三句、木村威夫「夢幻を架ける人」ロング・インタビュー、坂田敏子「服にとって日常とは何でしょうか」、石田尚志「跋扈する竜」上書きされる旅を書く・連載第1回目、Gutevolk・うたのためのうたもしくはすぐ遠くにある言葉、佐藤わこ「汚れた兎ほどあなたを愛する」、水町文美「シンボルリズム the symbolized rythm」部分他、石田瑞穂・風の肖像・城戸朱理著『吉岡実の肖像』書評、付録・未生響「掌上空」掌にのせて読む本。
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お待たせしました、連載企画『一点突破』第2回。今回は、『(f)orpoets』(フォーポエッツ)という雑誌を編集しているお2人にお話を伺いました。詩の雑誌なのに映画や音楽に関するインタビューがあったり、雑誌なのに袋の中にたくさん紙が入っていて楽しいつくりでデザインもきれい。なんだかよく分からないけれど面白い、なんでこんなものがインディーでつくれるのか、それともインディーだからつくれるのか?その秘密は、神田さんと石田さんの徹底したこだわりの中にありました。

Contents自分たちでつくる、ということについて。[New poetry magazine] たること。

■自分たちでつくる、ということについて。


-----まず、『(f)orpoets』をつくることになったきっかけから伺いたいと思います。

神田:詩を中心に活動していたので、そのとき自分の周りには詩を書いている人がたくさんいました。けれど、それを世間に届ける役目の人となると、全然いない。唯一好きだった『ウェイストランド』(※1)もなくなってしまったし、なんかつまらないなあと思っているときに、石田と出会って。彼は彼で少しスタンスは違うんですが、だいたい同じようなことを考えていて。それで、やろうということになりました。

石田:『(f)orpoets』というポエトリー・マガジンは、神田響子との出会いがなかったら生まれなかったと思います。どういう経緯でそうなったか、はっきりしたことは覚えてないけれど、なんか、神田とふたりでお酒を呑みながら「こんな詩誌があったらカッコイイよね」とか盛り上がったていたら、神田がホントに作り始めたんですよね(笑)。『ウェイストランド』が面白いのは、文芸誌とは違って、詩を内的要請だけに従って流通させなかったことです。詩というものは、本来は、流通できないないもの。けれども、あえて、その詩を流通させるにはどうすればいいのか。つまり、今=ここという場所で、積極的にポエジーを演出して仕掛けていったというか・・・そのこと自体は、必ずしも、純粋にアーティスティックな行為ではないにしろ、その覚悟があったから、田村隆一も「君たちの詩誌は『荒地』(ウェイストランド)にしなさい」っていう、称号を贈ったんじゃなかな。辻仁成さんと後藤繁雄さんのデュオもいいですよね。辻さんは、どうしようもない程、小説家で詩人だし(笑)、後藤さんはエンジニア的な役割に徹していて、すごくライヴ感のあるレイアウトにしています。とくに、写真は、もう、独壇場ですね。でも、二人の創造の中心にいつもあるのは、今、言葉の場所はどこにあるのかっていう問いだし、それを小説よりも包括的な概念として語ろうとする「詩」なんですよ。その二人の個性がお互いをすごくよく補いあって、ひとつのエディターシップを生みだしている。鮎川信夫や田村隆一、北村太郎が参加した『荒地』も、雑誌をやることで、日本の詩が西欧近代によって失ってしまった「個」を探して再構築しようとしたわけで、辻さんと後藤さんが辿り着いた場所も、個性とは違う、ある時代のなかで一人一人が「個」でいられる詩的な磁場を今ここに創出しようとしたのかもしれません。だからあくまで現代詩の住人たる僕も(笑)神田というエディター/エンジニアと組むことで初めて、『(f)orpoets』のような試みが可能になったんです。今まではふたりの感覚、スタンスと役割の違いが、いい結果を出してきたのかもしれませんね。

-----それは、自分たちの詩を発表する媒体として、というのとは少し違いますね。

神田:そうですね。一般的に同人誌というのはまさに「自分たちの詩を発表するため」に作られるので、客観性に欠けたものになってしまいがちなんですね。だから私は伝える側、裏方に回ろうと決めたんです。

-----編集に徹する、というわけですね。

神田:石田は詩人として活動しているので自分の書いたものも載せていますが、雑誌としては、完全にそういう姿勢です。

-----その場合、きちんと売れるものにするためには、ある程度名の知れた人に書いてもらう必要がありますよね。(f)orpoetsにも、例えば今号ならば多和田葉子さんの原稿が載っていますが、こちらが無名な状態で、名の知れた人にお願いするにはどうしたらいいんだろう、というのは、みんな悩むところだと思います。何か、自分なりのやり方はありますか?

神田:ああ、それはすごく大切なことだと思います。私の場合はまず、手紙を書くことですね。

-----手紙。メールではなく、手書きの手紙ということですか?

神田:そうです。まず、凄く真剣に手紙を書く。今まで、この方法で断られたことはほとんどありません。多和田さんも、以前から返事を頂いていて、今回やっと実現しました。承諾していただいた理由を後から伺ったら「手紙の紙の質感や鉛筆で書いてあったのがおもしろかったから」(笑)。一生懸命さが伝われば、ひとはきちんと応えてくれるんですね。

-----確かに、真剣な手書きの手紙を貰ったら誰だって心が動きますよね。それに、書くことが仕事の人はやっぱり普段はどうしても仕事になってしまいますから、若い人から場を提供される経験は、どこか新鮮なのかもしれないとも思います。

神田:そうなんです。著名な方でも案外、そういう場を求めている人は多いんだと思います。若い頃の自分を思い出すよ、と言ってくれる人もいますし(笑)。でも実際そうなんですね、昔の作家とかの話でもよく、若い頃に名の知れた作家に弟子入りするべく手紙を書いた、っていうエピソードとかあるじゃないですか。昔からずっと、そういうものだったんだと思います。

石田:うん、そのアタックっていうのは、大事だね。それが、詩誌のダイナミズムを生むことにもなる。

-----なるほど。次に具体的な製作の話を伺いたいと思うのですが、まず創刊号を「さあ作ろう!」となったとき、最初につまづいたことは何でしたか?

神田:学生ですし、特に出版社でバイトしていたとかいう経験もなかったので、もうはっきりいってつまづくどころか、何も知りませんでした。コンセプトとかは決まるんだけれど、それをどうやったら具体的にできるかというのが分からなくて。それでとりあえず友達に、誰か知り合いで本を作っている人がいないか、とにかく聞いて回りました。それで何人かの人に会ったりもしたんですが、こちらもコンセプトばかり先行して具体的なモノがないから、教える側も教えにくい。結局のところは、そうこうしていく中で、もう無理やりつくってしまったという感じです。誌面のレイアウトも、自分で色々調べて勉強して。

-----すごいですね、きちんとデザインされていますし、とてもそんな風には見えない!期間はどのくらいかかりましたか?

神田:話が出てから作り出すまでの間は結構ありましたが、実際に作ることになってからは、原稿依頼して、その1ヶ月後が〆切で、その1ヵ月後にはもう入稿してました。illustrator(※2)の勉強しながら、試行錯誤しながら。やっぱり最初はデータの作り方に間違いがあったりして、すごく大変でした。

石田:うんうん。最初は「illustrator」を手に入れるところから始めたんだよね(笑)それから神田がかなり勉強して。僕が一番初めに「これはイケルな」って確信したのは、神田が一号の表紙案と初稿のレイアウトを上げてきた時。正直言って、神田がここまでできるとは思いませんでした。勿論、プロのデザイナーではないわけだけれど、そこには神田の、来るべき詩への思いと予感が、既にはっきりと形になってでてきてたから。それは、プロのデザイナーだからできることではないんだよね。

-----それは、これから作ろうという人にとって、すごく励みになることと思います。illustratorでの入稿ということですが、印刷屋さんはどうやって?

神田:ネットで検索しました。若い人に読んで欲しいというのもあったから、できるだけ安く出したかったんです。それでとにかく安いところを探しました。

-----今は、その頃の印刷屋さんとは違うところをお使いのようですね。

神田:前に使っていたところは、鳥取にあって。凄く安くて、対応も良くてよかったんですが、安いだけあってパックになっていて、紙もページ数も定型が決まっているんですね。で、1号2号と出した後に、やっぱり安く作ると安くなってしまうな、モノとしてもっと大事にできる本にしていきたいなあと思って。そこで、ダメもとでアトリエ空中線(※3)さんにメールを出しました。インタビューと造本、両方を依頼したんです。そうしたら、凄く丁寧に対応していただいて。「何か作りたい」っていう人に対して、とても良心的な方なんです。

石田:「物」としての触感を大切にするという考え方は、たしかに、今の詩誌の作り手には希薄だと思います。ポエトリー・マガジンは読者へと届けられることはもとより、読者の手元に置かれることそのものを「詩」として考えていかなければならないんですよね、本来は。そういった詩誌のデリケートな質感への配慮や発想は、やはり神田が上手いし、僕にはできなかったと思う。#3を間奈美子さんの「アトリエ空中線」で、と最初に提案したのも神田です。間さんは未生響さんていう詩人でもありますが、未生さんは自ら造本した<小さな本>(リブリーニ)という形態でしか詩を発表しない、じつに特異な詩人なんですよ。未生さんは現代の、ただしその本当の意義と先鋭さを失っていない数少ない良質なシュルレアリストとしての側面をお持ちだと思うのですが、ヴァルター・ベンヤミンという哲学者・文芸批評家がシュルレアリスムとマルクスを接続してこんなことを言ってます。シュルレアリストのつくる「オブジェ」には「追放」(デペイズマン)という概念があるんですけど、それは彼らのなかでは「現実」から、楽園のような未来にある「超現実」(シュル=レアル)への追放を意味したんですね。でも、それだけじゃなくて、そういったオブジェの本質とは、市場・資本主義社会の既成の「流通」や「商品価値」からの「追放」でもあるんだと。僕たちは何でもお金で買いますよね。それはつまり僕たちの社会に住む限り、全ての物は金額で判断されるということです。僕たちは本当の意味で物を見て、触れていないし、それって世界に触れていない、隔絶されているってことじゃないですか。「現実」って値札の付いた幻想の中に、僕たちは生かされている。僕は、未生さん/間さんが、詩に手仕事的な部分を持ち込む姿勢が大好きなんですよ。未生さんの造本をつらぬいた、詩作品としての本を手にとって眺めていると、その本が「自分の力で物を見よ、世界を見よ!」って囁いてくるような気がする。一般に、滝口修造を含めて、シュルレアリストはナイーヴな夢想家っていうイメージがあるけれど、これは、世界的にも、シュルレアリストの仕事は高度資本主義世界に対する深いアンチテーゼを秘めているんです。詩は時に遥かに深く野蛮で、動物的なんですね(笑)とは言っても、もちろん『(f)orpoets』はシュルレアリスティックな実践ではないですし、進展のない超現実主義が今成功するとは思えません。ベンヤミンの頃とはメディアやテクノロジー、流通の環境は大きく違いますから。

-----そうして本が出来上がると、いよいよ営業ということになります。1号目はどうされましたか?最初に持っていった本屋さんとか。

神田:最初、どこだっけなあ…駒場に住んでいるので、渋谷や青山にある書店だったと思います。けど、全然ダメだった。電話して会って見ていただいても、「取次ぎを通してないとだめ」って言われてしまうんです。あと、「詩ね・・・」みたいな反応だったり。でも、大学の生協とかは比較的置いてくれました。あとは知り合いやその紹介で、ハートランドさんやフライングブックスさんなど、詩を置いているところ。それで、だんだんと置いてもらえるところが増えていきました。

-----売上はどうでしたか?

神田:500部刷ったんですが、一応1号から全部、原価はペイできてます。1号も、少なくとも半分以上は売ったんじゃないかな。

----- お金の話になると、やはり誰しも気になるのが、生活のことだと思うんです。ぼく自身、こうしてオンラインの古本屋だけでなく、色々他の仕事もしてなんとか食べているような感じですが、神田さんの場合はいかがでしょう。

神田:私は、翻訳関係の仕事をしています。まず、詩人で、日本で純粋に詩だけで食べていける人は、言ってしまえば谷川俊太郎さんお一人だけなんじゃないかと思います。他の人は大抵、ほぼ間違いなくほかに職業を持たれています。とはいえ、出版社やライター、大学教授といった方が多いようですが。職業を持っていたほうが(詩人として)いい、っていう方もいますね。そこが小説とは違うところで、それだけ詩の市場が小さいということなんです。やっぱり『(f)orpoets』だけでやっていくというのは難しいですね。

■[New poetry magazine] たること。

-----それでは次に、中身のお話に移らせていただきたいと思います。『(f)orpoets』には"New poetry magazine"というサブタイトルというか、枕がついていますが、そのあたりから伺えますでしょうか。

神田:詩とその他のジャンルとの断絶をなんとかしたいと思って、創刊当時から「もう一度ポエジーを」というコンセプトを掲げてきました。たとえば映画評の中には当たり前のように「ポエティック」ということばが出てきますよね。ポエティック、すなわち詩的ということは、映画の中にも音楽の中にも、みんながふつうのものとして感じとっている感覚なんです。そしてそれは、当然詩自体の中にもある。だけど詩は閉ざされた世界だから、若い人が「この映画が好き」っていうような感じで「この詩が好き」と言えるほど、それに触れる機会がない。その断絶をなんとかするために、まずは他のジャンルと交通できるといいなと。そういう意味を込めています。

-----それで最初にインタビューに選んだのが、ファッション関係の方だったわけですね。

神田:小此木達也さんというデザイナーの方です。もとはイッセイにいらっしゃって、アディダスとのコラボレーションなどを手がけられた方です。今でこそコラボレーションといえば、リーバイスとなんとか、とか、大物のブランドがどんどんやっていますが、当時はアディダスのスニーカーをイッセイで包んでしまう、なんてあり得なかった。でもこれをいわゆる引用と考えると、文学の世界ではもっとずっと昔からやられていて。文学は、他の分野より方法論の面で30〜40年早いというのが通説だそうです。そういうのは私より、石田のほうが詳しいんですけど(笑)。

-----なるほど。過去に文学で起こったことと似たことが起ころうとしているファッションの現場で、まさに他のジャンルとの交通をされている方だった、というわけですね。

神田:そうそう、そういうことなんです。まさにぴったりの方でした。

石田:神田が言った「断絶」や「交通」は何て言えばいいのかな、一つ一つのジャンルの境界性を問題にしているんじゃなくて、そうした各々の場所が本来もっていて今は失っている、世界そのものとの「交通」や「断絶」のことだと思うんですよ。たとえば、#3で取り上げた西荻窪・魯山の大嶌文彦さんは「拾われたものたちへ」という個展を何年かに渡って催されている。彼は独自の審美眼で、本当に拾ってきた錆鉄や、商品価値のない廃棄された物たちを直して、もう一度、生命の吹き込まれた品々に変えていくんです。それはある種、超現実のための行為と言えるかもしれない。でも、彼は全然、文学やアートに興味はないし、その発想の源はあくまで骨董の世界なんです。ふだん、交流のない創造の現場で、どうして同じ制作が噴出するのか。それが起こるのが<世界>だし、その見えない、世界のポイエーシス(詩であり創造)こそ、『(f)orpoets』は取り上げてきたと思うんです。詩人よりも動物っぽい大嶌さんは、ある意味、希望と言ってもいいかも(笑)

-----『現代詩手帖』とか『詩学』とか、詩のいわゆるメジャー誌もいくつかありますが、それらを意識することはありますか?

神田:あとは『ユリイカ』ですかね、完全に詩の雑誌というわけではありませんが。きちんと作られていますし、それぞれの役割があると思いますが、あまり意識していません。一応それなりに目は通していますが、隅々読んでいるとは言えませんし。

-----それと詩の世界には、同人誌というのが山のようにありますよね。

神田:ただほとんどは、「私、こういう詩を書いています」っていうのものなんですね。詩の良し悪しは勿論あると思うけれどいいものは凄く少ないから、ほとんど全部一緒に見えてしまう。『現代詩手帖』が毎年、詩人の住所録みたいなものを作るんですが、もうそこに片っ端から全部送ってハイ終わり、みたいな。雑誌というよりは回覧板のような、近況報告的なものがすごく多いので、外の人の目にほとんど触れないんです。

-----なるほど。『現代詩手帖』で石田さんが詩誌の月評をされていますよね。そこで取り上げられている詩誌も全然見たことがないなあと不思議に思っていたのですが、そういうことだったんですね。他にも最近はネット上で詩を書いている人もたくさんいるようですし、いま詩をめぐるシーンがどういう風になっているのか、大抵の人は全く掴めていないように思います。大まかに教えていただけないでしょうか。

神田:まず文学というのがあって、小説や散文のようなものと並んで詩がありますよね。そしていまその詩に関わる人々は大雑把に現代詩系、リーディング系、そしてネット系の3つに分けられます。もちろんそれぞれ交錯していてその間に立っている人もいますが、それぞれがある意味内部で完結しているような状況です。
現代詩系は、さきほど言われたような詩誌の人ですね。年齢的には一番上ですが、最近は若い人もいます。ちょっと前までは30過ぎでも全然若手でしたが、ここ何年か、中原中也賞とか20歳位の人が取ったりしていて。
リーディング系は、高田馬場の「ベンズカフェ」を中心に、西荻窪の「ハートランド」や渋谷の「フライングブックス」などで行われているようなリーディングのイベントに出入りする人たちで、観客にも詩を読んでいる人、読みたいと思っている人が多いです。また詩に限らず演説のようなものが混ざっているイベントもあります。音楽にもいわゆるJポップから実験的なものまでありますし、映画にもハリウッド映画から短館系のマイナーなものまでありますよね。それで言うと、JPOPにあたるのはこのリーディングです。声に出して読むぶん、詩自体がスッと入ってくる、わかりやすいものが多い。
最後のネット系のことは、私も正直あまりよく知りません。数も多いですし、中には凄い人もいるのでしょうが、そのほとんどがいわゆる日本語で言うところの「ポエム」っぽいものになっているような印象があります。

-----『(f)orpoets』に載っているような詩は、その中ではどこに当たるのですか?

神田:やはりひとつの枠に留まらないような人がいいなあと思っています。でも現代詩の人が多いのかもしれない。これからはネットからも発掘していけたらと思っています。例えばネット上にも「いん・あうと」という、現代詩寄りの人たちが書いているサイトがあったりもします。最近はその枠も、少しずつ変化していっているような気がしますね。

-----そうなってくるとなんにせよ、基準が必要になってきますよね。詩に限らず全てのコンテンツに共通して、何か選択基準になっているようなものはありますか?

神田:やっぱり「ポエジーがあるか」ということになってくるんだと思います。いわゆる表現をしている人はみんな、それぞれ言葉にしがたいものをそれぞれの方法で表そうとしていますよね。話を聞いたり作品を読み込んだりしていくと、その既成の言葉では表現しきれないことが少しずつ見えてくる。受け手も含めてみんなが、何かそういうものを探しているんだと思う。そこに向かっていくことで、まずは雑誌として楽しんでもらえればいいと思っています。詩に興味をもってもらわなくてもいいんです。もちろん根っこは詩にあるんだと思いますが、他のジャンルでも、作品のリリースにあわせて紹介するだけみたいな雑誌が多いじゃないですか。まずはそういうのじゃない、もっと本質に迫る雑誌をつくっていきたいと思います。あと、さっきの石田の話にもあったけど、雑誌という「物」としても何が伝えられるかっていうこともすごく考えます。石田が『現代詩手帖』でやっていた詩誌月評の話がでましたが、あそこで石田が詩誌の装丁とかデザインとかの話をすると「それは詩とは関係ない、文学とは関係ない」という人がいるのですが、それは違うと思う。特にこれからはそこまで含めて考えていかないとだめ。文学だから「物」の次元での評価が免除されるという特権を与えられているわけでは決してないと思う。

-----雑誌として、ターゲットとしてる読者はどのあたりですか。

神田:一番のターゲットは10代の人です。あれくらいの時期ってみんな、やっと自分の力で考え出すころじゃないですか。だから自然なものとして受け入れられるというか、スッと入っていける。私も『ウェイストランド』を読んでいて「自分も何かしたいな」と思わされたりしていましたが、そういう「自分にもできる」「自分も何かしたい」と思えるような雰囲気を出したいですね。完全な読者、消費者になってしまわない、自分もその作り手の場所にいるような距離感。そもそも最近、東京には完全に「観る」サイドの人っていないと思いません?

-----確かに、作り手に回りやすい環境はありますね。音楽にしても映画にしても、昔だったらすごい機材を揃えなければできなかったりすることが、だいぶ簡単になりましたし。

神田:そうですよね。ちょっと話はずれますが、私がディレクターをさせていただいた詩のイベントで、磯部涼さんという音楽ライターの人に出てもらったんですね。最近太田出版から、今まで書いたものをまとめた本が出たのですが、その人はいわゆるジャーナリストというより、ミュージシャンと一緒に遊んでる感じで。そういう意味でも、もう完全な「聴く人」「観る人」という時代は終わってるのではないかと思います。

-----『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(※4)ですよね、ぼくもあの後読みました。まずああいうシーンがあること、そこで起こっていることを全然知らなくて。あの本にもの凄いライブ感があって、ぼくのように全然知らなかった人にも訴えるものがあるのは、実際に磯部さんがその中に飛び込んでいっているからですよね。同じくマイナーな詩のシーンも、ああいう風にリアルに描く人が現れれば面白いだろうなと思いますが、それとは別に実は以前から、ずっと個人的に思っていることがあって。活字離れがなんだかんだと言われて大分経っているのに、なぜ詩はマイナーなままなのか、ということなんです。単純に考えて、詩は小説より短いじゃないですか。つまり、活字が少ない。半端に薄っぺらい小説が何百万部も売れているのに、なぜ詩ではそういうことが起こらないのでしょう。

神田:うーん、確かに詩は短くて、世界で一番短いアートとか言われますよね。当然、ひとつの詩に出会って感動することってあると思うんですが、それには長編映画一本見るくらいの時間が必要だったりすることもあるんですよ。私自身、大学でアメリカの詩の研究とかをしていて、五行読むのに一時間かけていたりすることもありました。だから実は、凄く時間がかかるものなんです。あと、セルフヘルプブックって言うらしいですが、いわゆる癒し系の本があるじゃないですか。あれって一見詩の本みたいだけれど、もちろんそれは詩じゃない。そっちのほうに流れていってしまっているんじゃないかと思います。

-----なるほど、たしかにああいう本はものすごく売れていますよね。その辺に関してもたくさん思うところがあるのですが、長くなりそうなのでまた今度にしましょう(笑)。それでは最後に、これからの『(f)orpoets』について伺いたいと思います。

神田:若い詩人の人を発掘したいというのは、凄くあります。雑誌の投稿欄とかネットとか、できるだけチェックしていこうと。イベントもやりたいですし、あと、サイトももうすぐ立ち上げます。どうしても、地方にあまり届けられていないので、通販が出来るように。地方で悶々としている10代に届けたいですね。一号ずつ丁寧に、きちんと伝わるように作っていきたいと思います。

石田:10代と言えば、僕は今号#4に未生響さんが寄せてくださった「掌上空」を見た時、はじめて10代に詩が届く詩誌ができたんじゃないかと思いました。#5からはもっと神田の色がだせるようにして、僕はもっと自分の場所でやるべきことをやろうと思います。それと、これは、詩人たちに言っておきたいことですが、詩人が雑誌をつくるときに、デザイン、流通、プログラミングなど、詩以外の領域に属する人となにかをやろうとすることは、とても大事なことに思えます。とくに今は。僕も、エンジニア的な実務にかんしては全く無力なので(苦笑)。たしかに、一時、企業メセナを中心に、いわゆるアーティストとエンジニアのタイアップはあったけど、本質的な創造ではなかったと思う。だから、そういった実践を、もっと手元に引きつけて、アナーキーな場所で開鍵すべきです。アンドレ・ブルトンが言っていたことですが、詩人には、つねに、「複数性の要請」があります。それは詩人に限らず、ひとりではできない、複数でなければできない運動を、詩人が積極的にさまざまなジャンルのなかで組織していくということ。詩誌は、そうした、複数性の運動なんですよね。だからこそ、さまざまな創造の中心には、詩があると思います。紙に書かれたものが即ち運動でもあるっていうのは、1930年代の前衛運動の、偉大な遺産です。『(f)orpoets』は、僕にとって、そんな詩誌であり、運動なのかもしれません。

-----どうもありがとうございました。

※1 『ウェイストランド』
荒地出版社刊の「コトバとオンガクとポエジー」をテーマにした季刊誌。神田さんは学生時代にこの雑誌に詩を投稿し、何度も掲載されている。現在休刊中。

※2 illustrator
Adobe Systems社のグラフィックソフト。同社には雑誌や書籍など複数ページにわたるもののレイアウトに特化したin designというソフトもあるが、こちらが使われることもある。

※3 アトリエ空中線
関奈美子さんの造本による出版工房。詩集を中心に、小部数の美しい造本をたくさん手がけられている。

※4 『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』
1978年生まれの音楽ライター、磯部涼さんのデビュー作。2004年10月、太田出版刊。



(聞き手:内沼晋太郎)

(f)orpoets #4 /(f)orpoets編集部/20041260(新品)買い方
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