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2.展覧会カタログ

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6、「シナジェティック・サーカス〜バックミンスター・フラーの直観の海カタログ」
1989年4月発行、2100円(税込)
<買い方> |
7、「東京速読」展カタログ
ブライアン・ボイゴン
1990年9月発行、定価3,150(税込)
<買い方> |
8、「原初火球」展カタログ、
蔡國強 1991年2月発行、定価1,890円(税込)
<買い方> |

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9、『難民共和国パスポート』インゴ・ギュンター
1999年発行、840円(税込)
<現在品切> |
P3 音の空間シリーズ
10、「四つの装置」展カタログ
小杉武久、1992年10月発行、2,100円(税込)
<買い方> |
P3 音の空間シリーズ
11、「真と嘘」展カタログ
クリスティーナ・クービッシュ、1993年1月発行
<買い方> |
-----そういう<精神とランドスケープ>シリーズがあって、P3の展覧会カタログとかもはじめる。これは発行もP3ですよね?これはいわゆるインディーズ出版ってことですよね。
明確に出版社になろうと思ったことはないのだけどね。でも本というものはすばらしいものであって、それに関与していくことの喜びはあるわけ。そういう思いは常にあって、P3の立ち上げにB.フラーの展覧会をやった(本6)のだけど、どうせなら、展覧会カタログというよりは、ちゃんと関係者にインタビューして今までにないフラー関係の本を作ろうということになっていった。編集のプロの金坂がいるから、彼女が中心になってまとめてもらった。そうしたら、展覧会カタログというより、一冊の本をつくることへの興味が膨らんでいった。
ほかにも例えばブライアン・ボイゴンの「東京速度」(本7)っていうカタログがあるんだけど、これはカタログというより一冊の本のかたちをとった作品なんだ。もちろん展覧会もあったのだけど、その展覧会の記録とか解説ではない。でも、こういうのってお金がかかる。後で話すけど、後に野口里佳の写真集を出すのだが、この時には場所としてのP3はなくなっていたから、展覧会を制作する資金を出版に回すという考えが取れたけど、初期は展覧会やって、本も出すという大変なことをやっていたわけ。助成金のようなお金が集められたときにだけ、そういうことがやれましたね。
-----じゃあ、サイトに載っているカタログのあいだあいだにもいろいろ展覧会があったってことなんですね。私自身はP3という現場に行ったことがないからカタログを見て、こういうことやってたんだ、って知ったかんじだったのですが。
そう。だいたい自主企画として年4、5本はやってましたね。
-----でも出版のスパンとしては半年に一回くらいは出してたりしててサイクル短くてすごいですよね。フラーやって、蔡國強さん(本8)(※9)やるまでの1年半の間に2冊カタログ出してますもんね。
ああ。あの当時はね。まあ、でも、蔡さんのは書籍というよりは展覧会カタログだから。しかし、今ではあんなに有名になったけど、一緒にやりだしたころは本当に無名だし、まとまった形で彼のプロジェクトを紹介した、はじめての一冊にはなった。有り難い話なんだけど、世界中で彼が活躍すると、参考文献のはじめにいつもP3の名前が出てくるでしょ。そういう意味では原点になれて、ほんとにうれしい。
-----わりと既存で有名だった人とやるんじゃなくて、発掘タイプってことですか?
そういうこともあるけど、別に意識しているわけではなくて、結果としてそうなったというかんじなんだけどね。
-----本のつくりとかはやっぱりP3で決めるんでしょうか?
金坂が出版関係をまわしてくれていたから彼女が結婚してカナダに渡る95年くらいまでは、彼女が中心になってまとめてくれましたね。つくり方ということでは、われわれとアーティストで議論して、ということかな。だいたいわれわれ主導で進めますけど。
■ インゴ・ギュンター(※10)の『難民パスポート』(本9)くらいまでですか?
ただねえ、これもそうだけど、本というよりは、限りなくマルチプルに近い状態になっていくものも多くてね。サウンドインスタレーションのシリーズなどは、村井啓哲というスタッフの発案で、たとえば小杉武久さん(本10)(※11)のはカードとレンズで構成された「本」なんだけど、これなんか、お金がないから、ポストカードとして印刷して、箱は別に発注して、それで自分たちで手作りした本でしたね。結果的にいいのができた。
-----今だからそういう形ってあっても不思議じゃないけど、当時の美術館とかのカタログって多分そういうのってすごい珍しかったと思うんですけど、そういうものを作る時って「かっこいい本つくりたい!」っていう気持ちで作ってたりしたものなんですか。
というよりは、P3のやり方っていうのは、結果的にかっこいい、と言われるのはうれしいけど、現場でやってる最中はそういうこと考えられなくて、さっきのサウンドインスタレーションのやつなんかは、お金がないから、というのが一番の動機だよね。なまじ金がないからデザインも自分たちでやることになるし、いかに予算を落とせるかってことが最優先。でも、安くしたからといってセンスのないものにするのは癪だから、既成の本という形体からは離れてしまっても、センスを維持しつつ、お金をかけないですむ方法を必死に考えてましたよね。その結果だと思います。
それと東長寺との関係もあって、金銭的に迷惑をかけるわけにはいかなかった。はじめ、P3は東長寺という宗教法人の一部局として位置づけて、その部局への予算は年々削っていく計画を立てた。ただ、あの空間を維持していくためには、どうしてもお金がかかってしまう。だから、5年計画を立て、最終的にはこの施設維持費だけを東長寺に見てもらおうと考えた。人件費はほかの仕事で稼ぎだし、プロジェクトの制作予算はプロジェクト()ごとで収支を考え、入場料とったり、協賛金や助成金を集めたりして、バランスをとろうと考えた。
これなら長期的にやれると思ったんだけど、諸事情で維持費も負担する状況になってしまい、そうなると空間そのものをお金に変えるよりなかったので、オープンから5年くらいで空間をレンタルするという考えが出てきた。ただ、いろいろやったプロジェクトが思ってもいない反響を生んだりしていて、ある意味P3には国際的に知られる、ひとつのカラーがついてしまっていた。名の知られた海外のアーティストたちが日本に来た時にはここを訪れることも多くなっていて、なんといえばいいか、P3っていうブランドができつつあったんだ。なので、金が欲しいからなんにでも貸すというわけにはいかなくなっちゃって(笑)。
まあ、レンタルそのものは自主企画とバランスをとりながら、なんとかうまくいった気もするけど、あの空間はレンタル用に設計していなかったし、運営がとても大変で、空間を維持するためにレンタルに追われる事自体に矛盾を感じるようになって、結局スペースそのものを寺に返すことになるんだね。
ついでに、あの空間の話をすると、フローリングとコンクリートの地下の無窓空間ということで、音のことが心配だったから、壁をサウンドブロックというスリットの入った吸音ブロックを見つけてきて使ってみたら、それがわりとよくて、アコースティックの場合なんか、とてもいい空間になった。でも、美術はやりにくい。要するに、ホワイトキューブではない、非常に癖のある空間なわけだ。スリットが入ったグレーの壁は照明で陰影がつくし、地下だから、広くて天井高もあるけれど重苦しい。こことは関係ないところで作り出された絵画や彫刻をいくら運び込んでも、ぜんぜん空間に負けてしまう。第一、広いから、そこを作品で埋め尽くそうとすると大変なことになる。それでどういうものがいいかって考えていくと、ひとつはインスタレーションという考え方。仮設的に、あの空間を丸ごと変えてしまうような作品がいいということになる。さらに、物質的に勝負しない。物量で戦おうとしても無理だった。なので、半ば必然的に、サウンドインスタレーションだったり、ビデオインスタレーションと呼ばれるものが増えていった。当時サウンドインスタレーションをやってる人たちって、美術館で作品を発表しようとすると、「ここはコンサートホールじゃない」と言われるし、コンサートホールでやろうとすれば「ここは美術館じゃない」と言われるわけで、彼らもこういう空間を求めていた。ロルフ・ユリウス(*11)(*12)と話してるうちに、小杉さんもやることになり、クリスティーナ・クービッシュ(本12)(※13)、ジョン・ケージ(本13)(※14)とつながっていく。インゴや三上晴子(本14)(※15)や、サウンドではないけれど、その後メディアアートと呼ばれるようになった一群のプロジェクトも増えていったなあ。ある意味で、初期のP3の企画は、あの空間自身が生み出していったところが大きい。P3のキュレーターは、あの空間そのものだったんだよ。
-----でも、お金かけててつまんないつくりの本ってあるわけで、でもお金がないときってサバイブするわけじゃないですか。そのサバイバルの結果としての本だったりアイデアっていうのは面白いことがありますよね。
そうだね。まあ、時たま失敗する場合もあるけどね(笑)
-----そういう音だったり、映像だったりして、場所との関係性が強くて、そこがなければ消えてしまうものを本という形でまとめたりするということは、その場所がなくなってしまったときに、場所の手触りみたいなものをなぞりたいときには有効かもしれないですよね。
いつも記録していくことの重要性は認識しているけど、現場ではなかなか手が回らず、「なんでこれ記録とってなかったんだ」っていうことばっかしだね。本当に重要な時の記録はなにも残ってないことも多い。
-----すべてにおいて、「大事」さを取り逃がしているという感じがある、ということですか?
いや、妙な言い方だが、ほんとに大事な時は、それが大事だからこそ、記録なんかしてられない、ということもあると思うんだ。大事な時は、記録するより、その時を生きることの方が、それこそ大事なんだよ。
それに、濃度というか、密度のこともある。こっちは生身の人間だから、神様みたいに全部を経験できるわけじゃない。同時にいろんなことが多発しているとき、横ですごいことが起こっていても、気づかないときなんかいくらでもある、運なんだよ。大事なものと出くわすのは。
例えばその道では伝説になっているらしいけど、ブッチ・モリス(※16)の「コンダクション」という即興のオーケストラのライブがあって、そのときは4〜500人の人間があの空間に入って、大野一雄が客の中でダンスしてた。そんなもの、誰もきちんとした記録なんか撮れないよ。会場運営側としては事故がおこらないかひやひやしてるわけだし。そんなこと、いくらでもあった(笑)。しかも、ぼくはあの日は別の用で、見ていない。自分のスペースでさえ、そんな有様なんだ。
-----私自身もP3という場所の存在を知った時には、もう場所がクローズしていたのですが、当時P3に行った人の話を聞いたりすると面白くて。そういう書かれた言葉とか本という形には残らないけど、その場所に居た誰かの記憶に残っていたりして、それを知らない人が誰かから伝え聞くっていうことはとてもよいなあとおもいます。
うん、でもそういうのはいつの時代でもそうなんだよ。そんなもんだよ(笑)。大事なことのほとんどは、伝え聞くしかない。
-----まあ、そんなもんでしょうか。
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